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選外佳作「カメラ 吉光小夜舞」

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第23回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「カメラ 吉光小夜舞」

本日晴天ナリ。朗らかな陽気に抱かれ、ベランダで洗濯物を干し、窓をいっぱいに開け、心地良い外気を部屋に入れながら掃除機をかける。思いのほか家事が捗り、いつかは片付けようと思っていた押入れにまで手を付けた。

天袋の大半を占領している兜と雛祭り道具。二人の子供が小さく毎年時期になると飾っていた頃ならまだしも、高校生になり、もう季節になっても飾ることさえしなくなった今、3LDK80㎡のマンションの一室には大変痛いデッドスペースとなってしまっている。子供が就職するまでは取っておこう、と夫とは話しているが、さすがに子供の教科書、漫画、部活の新体操の用具、夫の趣味のゴルフ、釣り道具を少しでもしまうために、兜や雛人形の周辺道具はこの際もう供養に出しても良いかな、と思い、処分する箱を出し始めた。

「ドスン!」

けたたましく叩きつけたドアの音とともに長男が帰宅した。「開けんじゃねえぞ!」そのまま部屋に直行。私立高受験に失敗し、本意ではない高校に行き始めた頃から彼は扱いが難しくなってしまった。学校でいじめられているのか、あまり友人と馴染めていないのか、中学の頃まで見せていた抜けるような無邪気な笑顔を見せなくなってしまった。

時計を見ると午後二時。まだ学校の授業はあるはずで、今日も早退してきたのだろうか。ただ、私は彼を信じているので彼のやる気が起きるまで何も言わないことにしている。斯く言う私も不登校児童だった。だが、勉強はできたので難なく大学には受かった。大学時代は楽しかった。閉鎖された村のような高校生活とはうって変って何もかもが開かれていた。サークルにデートにバイトに明け暮れ、今の夫ともインカレのサークルで知り合った。根は優しい頭の良い子だから、きっとあの子も私と同じなんだと思っている。だから絶望的に心配はしていない。いつか時が解決する。

奥の段ボールからは、小っ恥ずかしい歴代の彼氏の恋文が出てきた。これでも昔は私もモテたのだ。鏡に目をやると、小皺と白髪の混じった四十女の疲れた顔が映っていた。ふっ、時は残酷ね、とため息をつきながら片づけを進めていると、その隣のダンボールからはアルバムに整理のできていない昔の家族写真がどっさり出てきた。

チャイムが鳴り、デイホームから母が帰ってきた。迎えに出ると母の顔が険しかった。

「お母さん今日、ホームでお漏らしをしてしまったんで、気にされていると思います。」とヘルパーさんが耳打ちをしてくれた。

「何か飲む?」と母に聞いても、「いい」とそっぽを向き、母は卓袱台に座りテレビを見だした。大人しくテレビを見ている母の背中を見ていると、ここに至るまでの日々をつい思い出してしまって、涙が出そうになった。

父が死んでから母は十年間一人暮らしをしていたが、その間に認知症が進んでいた。物盗られ妄想で近所や警察に散々迷惑をかけ、部屋中、家中、雁字搦めに鍵・錠をかけた。失禁をし、風呂にもろくに入らないので匂いもきつくなった。鍋を焦し、さすがに危ないと思い、引き取った。夫は優しく受け入れてくれた。しかし、住み慣れない家で居心地が悪かったのか、母は家族で一緒に食事をするのを拒み、徘徊をするようになってしまった。ほかにもここに書けないような事が色々あったが、デイホームに通うようになってからは少し落ち着いた。何より、私が助かった。母に殺意まで抱き、もう壊れる寸前だった。

「お前誰だ!」テレビに向かって母が突然怒鳴り始めた。灰皿を投げてテレビの画面が割れた。割れたテレビ画面に向かって掴みかかる母を必死になだめた。「あいつが犯人だ。あいつが犯人だ!」「うん、わかった。大丈夫だから、大丈夫だから。お薬飲もうね。」

母はテレビに映った自分が敵に見えたのだ。

薬が効いてきたのか母は眠りについた。割れた破片を片付け終わった頃、娘が返ってきた。

「そうテレビ壊れちゃったの・・・」「週末に買いに行こうね。」「まっいいか。オリンピックの前に新しいテレビになって丁度良いわ。ただし親父抜きで!」この娘は心根の優しい本当に良い子に育った。ただ、以前浮気が発覚した父親のことを許してはいない。

天窓の片付けを再開した。今日も家族写真の整理はできそうにない。蓋をしようとした時、一枚の写真が目に留まった。写真館で撮った七五三の家族写真。まだ父がいて、母が正気で、長男が笑っていて、夫の浮気を知る前で、私が黒髪艶やかで、皆が幼い娘を囲んでいる写真。思えばこの頃が一番幸せだった。

「ねぇ、テレビを買いに行った後、家族皆で、写真館で一緒に写真を撮ろうよ。」

娘と部屋の息子に呼びかけた。皆でカメラのファインダーを覗けば、その今さえも後から振り返ればきっと幸せだったと思う日が来るのだろうか。カメラは、この十年急速に壊れていきそうな家族を留めてくれるだろうか。