選外佳作「信じない女 西方まぁき」
その女が私の住むアパートの隣に建つ高層マンションに住んでいるのを知ったのは、新しい職場で働き始めて一ヵ月程たった頃だった。
朝、出勤する時に偶然アパートの前で会ったのだ。
「あら、すごい偶然ね」
女は意味ありげにニヤリと笑った。
イヤだな。
正直言って、私はそう思った。
女は職場の上司で、年は七十歳を過ぎていたが独身のせいか若く見えた。
私が介護職員として働き始めた老人福祉施設は、小規模だけど働きやすい雰囲気で時給も悪くなかった。
女は私の上司だった。
少し情緒不安定なところがあり、自分の思い通りにならないと攻撃的になるので、同僚たちからは煙たがられていた。
私も内心、あまり好きではなかったけれど、関係がこじれると面倒なので、決して反抗することなく完璧に仕事をこなすよう心掛けた。
女は私の従順な態度と、四十歳で独身というところが気に入ったのか、私にだけ、高級なお菓子を渡してきたり、あからさまに特別扱いした。
最近、全国各地で大きな地震や自然災害が起こったこともあり「なにかあったら、助け合いましょう」としつこく言われた。
ある日、私は職場でやってはいけない致命的なミスを犯してしまった。食事介助の際、やり方を間違えて利用者のお年寄りが誤嚥性肺炎を起こしてしまったのだ。幸い死には至らなかったが、家族の知るところとなり、責任をとって退職せざるを得なくなった。
職場を去る時、女から餞別だと言って強引に分厚い封筒を渡された。中には十万円相当の商品券が入っていた。
「私生活では、引き続き、よろしくね」
相手に恩を感じさせ、自分の思い通りにしようとする。これが、この女のやり方なのだ。
女は職場で噂されていた通り、給料や年金の他に親から相続した不動産もあり、金には不自由していない様子だった。
次の職場が決まらず、貯金が底をつきかけた頃、女から骨盤を圧迫骨折してほとんど動けないので助けてほしいと連絡が入った。
商品券を受け取ってしまった手前、無碍に断ることもできない。
七十代で一人暮らし。親しい友人も、頼れる身内もいない。
恐らくかなり長い間、掃除をした痕跡のない高級マンションの一室は、モノで溢れ、ゴミ屋敷のようだった。
埃が舞う部屋の奥に置かれたベッドで女は痰のからんだ咳をして横たわっていた。
私達は知っている。
介護施設では、定期的に会いに来る家族や友人がいない利用者に対して「お座なりな態度」をとりがちだということを。
どんな扱いをしても、本人以外、誰からもクレームを言われる心配がない。孤独な老人は、どんな環境でも虐待の対象になりやすい。
しかし、再び商品券を渡されたこともあり、当面は生活のためと思って女の身の周りの世話をすることにした。
「ありがとね。あんたがいなかったら、あたしはどうなっていたか……」
そんなしおらしいことを言って、視線をチラリと上に向けた。
天井の隅に監視カメラのようなものが設置されている。
いつの間に、こんなものを……。
私が女を介護する一部始終は全部このカメラで記録されているということか。
他人を信用しない人間がやりそうなことだ。
こんなことしなくても、私はちゃんとやりますよ。
「おまえを信用していない」と言われているようで、すこぶる気分が悪い。
私は来る日も来る日もたんたんと身の周りの世話をした。
時々、気に入らないことがあると暴言を吐かれたり、理不尽な要求をされることもある。そんな時は、いっそ死んでくれたらと思う。
そもそも血の繋がりもない私が面倒を見なければならない義理などないのだ。
女に意地悪したくなることもあったが、あのカメラが視界に入ると、思いとどまらざるを得なかった。
そのカメラが、ただの「飾り物」だったと知ったのは、翌年の正月、雑煮の餅を喉につまらせ、呆気なく女が逝った後だった。