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佳作「隠し撮り ひのますみ」

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第23回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「隠し撮り ひのますみ」

夜勤明けで恭子がアパートに帰ると、息子がテレビゲームをしていた。

「拓海。学校は」

「行ってるわけないじゃん。俺ここにいるもん」

「そういう屁理屈じゃなくて」

息子は母を無視してゲームに興じている。恭子はゲーム機の電源を抜いた。

「なにすんだよ」

「いいから、そこに正座しなさい」

拓海はあぐらのままそっぽを向く。

「あのね。お母さんだって無理に学校に行けっていってるわけじゃない。けどあんたのはただのサボりでしょ」

「あんただってサボってるじゃん。鏡見ろよ、その体型」

「お母さんに向かってあんたはないでしょ」

「うるせえババア」

怒りより悲しみがこみ上げてくる。

「もし――もしお父さんが帰ってきて拓海を見たら、きっと悲しむよ」

「帰ってこねえよそんなやつ」

「拓海」

「あんたを孕ませたの知って、とんずらこいた男だろ」

思わず息子の頬をはっていた。彼は無言で立ち上がり、玄関を出て行った。

恭子もふらりと立ち上がり、台所から料理酒を持ってきて居間に戻る。コップに酒を注ぎ、いっきに飲み干した。下戸なうえに夜勤の疲れもあり、とたん視界がぐらりとなる。

昔はいい子だった。でも中学に入る頃から荒れ始めた。二年生の今では、ほとんど学校に行っていない。

女手一つじゃ、限界なのかな。それともわたしが悪いだけなのか。もしあの人がここにいてくれたら――。

不意に懐かしさがこみ上げる。恭子は押し入れの奥を探り、久しぶりにそれを取り出しテーブルに置いた。黒いボディの一眼レフカメラ。今では珍しいフィルム式だ。あの人の唯一の趣味がこれだった。撮りかけのフィルムがまだ中に入っているが、あえてそのままにしてある。あの人がいつ帰ってきてもいいように。

恭子はさらに酒を呷る。世界がぐにゃぐにゃになる。やがてぼんやりと人影が現れた。ああ、わかる。懐かしいこの感じ。

「ねえ。ねえ。善彦さんでしょ」

返事はない。

「ねえ。わたしもう無理だよ。拓海がいうことを聞いてくれないの。もう、寂しい。限界だよう……」

ねえ帰ってきてよ――それは言葉にならず、意識が暗闇に閉ざされる。

目覚めると激しい頭痛に襲われた。はっとして部屋を見回すが誰もいない。さっきのはやはり夢だったらしい。壁時計を見ると午後四時をすぎている。

恭子はカメラのボディをなでる。間もなく臨月という恭子を残し、善彦はある日忽然と姿を消した。このカメラでなにを撮っていたのか、そういえば恭子は知らない。今まで抑えてきた興味に、急に抗えなくなる。機械オンチの恭子だが、どうにか背面のカバーを開ける。

中は――空っぽだった。

「ふ、ふふ」

虚しく笑いが漏れる。勘違いだった。カメラは空。こんなものを大切に抱えて、今までずっと待ってきたのだ。

わかっている。善彦はもう帰ってこない。虚しい、本当に。自分にはもうなにも――。

恭子は立ち上がる。足下がふらつくが、どうにかこらえる。もしいま、拓海まで失ったら。本当になにもなくなってしまう。

きっと。玄関を出る。きっとやり直せるはず。なにか方法はある。

初冬の冷気が鼻をつんとさせる。西日はもう弱ってきている。アパートの階段を駆け下りる。ブロック塀を回り道路に出たところに、拓海はいた。

「拓海!」

息子は一瞬逃げるような様子をみせたが、その後はゆっくりと近づいてきた。

「よかった。お母さんもしあんたまで」

想いが溢れて言葉が続かない。

「――これ」

息子からなにかの冊子を渡される。

「あのカメラの。現像、してきた」

ではもしかして、夢で見た人影は善彦じゃなく――。

「母ちゃん。あんなこと言って――ごめん」

ページをめくると、並んだ写真はすべてまだ若い頃の恭子のものだった。撮られた記憶はないから、いわゆる隠し撮りなんだろう。

「ばかなひと」

知らず微笑んでいた。写真には、恭子のお腹が少しずつ大きくなる様子が、はっきりと映されている。