佳作「イブカリ世代 家間歳和」
「おい、鳩岡。ちょっと来い!」
課長の鷹島が新人の鳩岡を呼びつけた。鳩岡はいぶかりの目を向けながら、鷹島のデスクに歩み寄った。
「このカタログ色校正の表紙写真、どうして旧製品にしたんだ。先方は新製品が希望だと伝えておいたはずだが」
「でも、僕は新製品が信用できなくて……」
鳩岡の言葉に、鷹島はいらつく。
「顧客の製品を疑ってどうする。先方はカンカンだぞ。大至急やり直せ!」
「でも、もう少し深く検討してから……」
「そんな時間はない。すぐやれ! 急げ!」
鳩岡は「でも」と、もう一度つぶやいたあと、ゆっくりと立ち去った。立ち去りながらもいぶかっている鳩岡の態度に、鷹島の開いた口はふさがらなかった。
今年入社した新人は、かなり癖が強い。いわゆる「イブカリ世代」と呼ばれている連中の中でも、最もイブカリ色が濃いと言われている年代なのだ。
十数年前、我が国の情報メディアは大混乱を起こしていた。氾濫する莫大なネット情報は、その80パーセント以上が虚偽であると噂された。真実の報道機関と信じられていた新聞やテレビのニュースにも、ネットの影響が深く浸食していった。
犯罪の真実がねじ曲げられ、犯人でない人物が追いつめられ、無関係である家族が炎上した。正義の顔で意見する人間が、民衆の方向性を操作した。一度点火した虚偽情報は、油をまくように燃え広がり、燃え尽きるまで垂れ流された。もはや情報に真実を探すことが困難と言われる時代となったのだ。
国の対策もすべて後手であった。虚偽を押さえ込もうとしても、その数は余りにも膨大すぎる。「真実を見極めよう」と注意喚起しても、焼け石に水。情報メディアの大混乱は雪だるま式にふくれあがった。
そこで着手された対応策が、根本教育からの変革であった。まだ幼き児童に、「情報を疑え、他人を怪しめ、すべてをいぶかれ」という教えが徹底された。
やがて情報メディアの大混乱は、下降線を描くことになるのだが、それは徹底教育を受けた子たちが成長し、社会に旅立つ時期とリンクする。彼らは、ゆがみだけが残る人間として世間に放り込まれた。上の年代の人々は彼らを「イブカリ世代」と名づけた。
「まったく、今年のイブカリはひどいよな」
会社帰りの居酒屋で、鷹島の同期である鶴本が愚痴をこぼした。
「俺が飲みに誘ったら、『鶴本さんが僕を誘うのは、部下を手なずけることで自分の人事評価を高めるという目的ですよね』と、ぬかしやがった。まったく、イブカリには開いた口がふさがらんよ」
鷹島らの学生時代は、情報の錯綜に振り回され、真実の発覚時には取り返しのつかない状態となっていることが当たり前、という社会であった。あまりの報道の荒唐無稽さにあきれることが日常であり、「開いた口がふさがらない」という言葉が流行語にもなった。すぐにあきれる体質が身についた彼らを、世間は「アイタクチ世代」と呼び、鷹島らも新入社員のときにいろいろと嘲笑されたものだった。でも今のイブカリと比べると、愛されキャラであったと鷹島は思っている。
「ははは、それは開いた口がふさがらんな」
鶴本の愚痴に鷹島は大笑いした。二人はイブカリを肴に、深酒の夜を過ごした。
数日後。鷹島が出勤すると、デスクにカタログの見本誌があった。鳩岡が担当した例のやつだ。その表紙を見て鷹島は凍りつく。
「おい、こら。鳩岡!」
鷹島の激しい叫びに、鳩岡はいぶかりの態度で近づいてくる。
「なんだ、この表紙は。旧製品のままじゃないか。なぜ直っていないんだ!」
「でも、やっぱりこの方がベターだろうなという、熟考の上での判断です」
「先方は新製品に社運をかけている。すべて納得の上でウチも仕事を受けたんだ。その希望を無視してどうするつもりだ!」
「でも、新製品には不具合がつきものです。それが分かってから刷り直しになったりしたら、目も当てられませんよ」
「屁理屈をこねるな! 本当にそう思っているなら、お前が先方を説得しろ!」
「でも、それは僕の仕事ではありません。先方との窓口である鷹島課長の仕事ですよ。僕に振らないでないでください」
「そんな自分勝手な言い分、俺に説得できるはずがないだろ! あきれた野郎だ」
「でも、説得してもらわないと……。もっと深く考えてください。なにも考えずにあきれるだけでは、世の中やっていけませんよ」
鳩岡は、いぶかりの目に笑みを加えた。鷹島の開いた口はふさがらなかった。