佳作「コネクトヒーロー 家間歳和」
部屋のあちこちに点在する、古い雑誌の重なり、放置された空き箱の固まり、脱ぎ散らした衣服の群がり。それらはすべて薄い埃でコーティングされており、少し移動させるだけでナオトのアレルギー鼻を刺激した。
妻のハルカと別れ、今日でちょうど三百六十五日になる。結婚してこのマンションに住むまで、ずっと実家暮らしであったナオトにとって、初めて経験する「一人暮らし」の三百六十五日だった。
ソファーでうたた寝すると、毛布がかかっている。クッションに飲み物をこぼすと、翌日にはそのシミがとれている。痩せゆく布団は、定期的にフカフカに戻っている。そんな出来事が当たり前でないと気づいたのは、三百六十五日の初期の初期だ。
特に部屋が荒れるメカニズムは、掃除経験の乏しいナオトの想像を超越していた。
掃除機をかけなければ、埃が踊りだすのは必然。空き箱を部屋の隅に放置し続ければ、山となるのは必然。読んだ雑誌をテーブルの横に重ねておけば、倒壊の原因となるのは必然。自分で処理しなければ、この必然は解消されない。「一人暮らし」という先生は、そんな基礎の基礎を教えてくれた。
だが、掃除習慣の欠如していたナオトは、「そのうち」を逃げ言葉として、日々を重ねた。やがて部屋は「そのうち」では手に負えない状態に陥る。いかにハルカの存在が、偉大であったのかが浮き彫りになった。
休日の今日、一大決心で始めた片付け作業であったが、頂上の見えない山の一合目でくじける登山家のごとく、ナオトのやる気は序盤ですっかりしぼんでいた。
「そんな理由で」と、ナオトが考える欠片の積み重ねが離婚の原因だった。「俺の不徳は改めるから」と嘆くナオトに、「もう遅いのよ」とハルカは冷淡だった。まだ小学三年生の息子ケンタのことを考え、やり直そうと懇願したナオト。が、彼女は揺るがない。ケンタとともに出ていってしまった。
二ヵ月に一度、ケンタと会う機会をくれたハルカであったが、自身が会うことは断固拒否した。再婚とまでいかなくとも、もう少し良好なパパとママでありたいと願うナオトには、悲しい拒否であった。
部屋に散乱する小物類を片付けようと、まず押し入れの中を整理していると、くたびれた段ボール箱から、味付け海苔のロゴが表記された、円筒形の缶容器が出てきた。「これはなんだっけ?」と蓋を開けてみると、小さなゴム製の人形が詰まっている。
スイ消しじゃないか!
ナオトが高校生のころに大流行した「スイ星マン消しゴム」、略して「スイ消し」と呼ばれていたものだ。まだ残っていたのか、という感慨が沸き起こる。
当時、アニメにもなったヒーロー漫画「スイ星マン」に登場する、正義の味方や怪獣をゴム人形にしたスイ消し。消しゴムと呼ばれていたが、実際には消しゴムとしては使えない、単なる玩具であった。流行の中心は小中学生。でもオタク気質グループの一員であったナオトは、高校生であるにもかかわらず、収集に熱を上げたものだ。
「高校生が、そんなので遊ぶの?」と、茶々を入れてきたのが、同じクラスのハルカ。二人のファーストコンタクトだった。
その後、いじるハルカといじられるナオトの関係性で高校生活は終わったが、成人後の同窓会で再会すると、スイ消しの思い出話で盛り上がり、交際へと発展した。
「スイ星マンは、二人を結びつけたヒーローだね」と、社会人になっても捨てていなかったスイ消しを、二人の宝物のごとくしまっておいたのだった。
スイ消しのひとつひとつを手に取って眺めていると、あのころの二人には戻れない切なさが込み上げてくる。
そうだ!
ナオトに、ある考えが降りてきた。カレンダーに目を向ける。次の日曜日に付けられた赤い花丸印。ケンタと会う約束の日だ。
ナオトは、このスイ消しを持っていこうと決意した。再放送が繰り返され、今も新シリーズが続いているスイ星マンは、もちろんケンタも知っている。このスイ消しを見せてやろう。欲しいと言えば、持って帰らそう。
「パパにスイ星マンもらったよ」
ケンタがハルカにそう言えば、彼女はあのころの二人を思い出すかもしれない。断固拒否の氷塊が、表面だけでも溶けるかもしれない。今よりは少しだけ、良好なパパとママになれるかもしれない。
「また、二人をつなぐヒーローになってくれよ」とつぶやきながら、ナオトはスイ消しを缶容器にしまった。
すっかりしぼんでいた片付け作業のやる気が、ほんのちょっぴり膨らんだ。