選外佳作「奇跡の村 菅保夫」
その男は突然に現れた。過疎が進む山奥の小さな村で、荒れた畑の中に倒れていたのである。上半身は裸で、下は青い布のフンドシを付けていただけだった。村人の一人が男を見つけたとき、意識がなく背中にはひどい傷を負っていた。村には病院がなかったので村人たちは話し合い、村長の家で男を介抱することにした。見たところ三十歳くらいで、ヒゲや髪はキレイに整えられていた。
翌朝、男は意識を取り戻した。不思議なことに骨が見えるほどだった背中の傷はほとんど治っていた。男は言葉を話すことができたが記憶を失っているようで、自分の名前もどこから来たのかもわからなかった。村人が出してくれた粥を水を飲むように食べようとして、箸の使い方を教えると思い出したようで、それからは箸を使った。
男は村長のすすめもあって、記憶が戻るまで村で家を借りて暮らすことになった。空き家はいくらでもあり、誰もそれに反対はしなかった。名前がないのも不都合だと、取り急ぎアダ名を付けられた。男が現れたとき、そばにイタチが何匹もいたらしいのでイタチと呼ばれるようになった。
いつまでも村人にタダ飯をもらうのも心苦しいと、イタチは農作業や土方仕事を手伝うようになった。細身だったが力が強くて、米俵を両肩に一俵ずつ抱えて運ぶことができた。それにイタチは機械や電気にとても詳しくて、壊れてしまった家電や農業機械など何でも簡単に修理してくれたのである。イタチは村にとって欠かせない存在となっていった。
季節は巡り、一年が過ぎた。けれどもイタチの記憶はまったく戻らず、イタチを探している人も現れなかった。イタチは小さな畑を貸してもらい、野菜を作り始めた。その野菜はなぜか成長が早く、味も格別に美味しい物ができたのである。イタチは収穫した野菜を村の人々にも配ってまわり、喜ばれた。
村は元々静かで平穏なところだった。イタチが現れたことは大事件だったけれども、それから再び元の静けさを取り戻していた。そんな村にまた騒動が起こったのである。年寄りばかりだったのでみんなどこかしら体に持病を持っていたのだが、それが次々と治療していったのである。
加齢による単純な関節の痛み、曲がった腰も治り、杖や歩行器が不用となった。それから毎日の薬が欠かせない慢性の病も治っていった。心臓や呼吸器、それに胃腸の病気。それだけに留まらず。治る見込みのない大病、なかには余命を告げられていた進行性の癌でさえ治療してしまったのである。医者たちはありえない奇跡だと驚いていた。
村人たちは手放しに喜んだ、そして何が原因なのかと話し合った。そう時間もかからずひとつの仮説ができた。イタチが作った野菜である。イタチが野菜を配り始めてからその奇跡は起こりだしたのだ。ためしに村人たちは実験をしてみた。二十年ほど生き、いよいよ脚が立たなくなった老鶏にその野菜を与えてみたのである。しかし鶏は二、三度ついばんだだけで目を開いて眠ってしまったので、村人たちはガッカリした思いで家路についた。
翌朝の日の出前だった。老鶏は元気に鳴き声を上げたのである。村人たちは顔も洗わず再び集まった。その姿はまったく別の若鶏ではないかと思うほどの変わりようで。シャンと立ち上がり、毛の色艶も美しく若返り、表情も良く目もキラリと力が戻っていたのだ。
まだ早朝だったが、村人たちは連れだってイタチの家へ向かっていた。自分たちの体を治してくれた礼を言いに、そしてどうやってあの野菜を作ったのかも知りたかった。イタチの家の前まで来たとき、みんな一斉に宙を見上げた。イタチはそこに浮いていたのである。赤紫の光の帯の中をエレベーターのように上へ昇っていくのだ。そのはるか上空にドンブリを逆さにしたような巨大なものが銀色に輝いており、それが光の帯の源だった。
イタチが連れ去られると思った村人たちだったが、当のイタチは笑顔を見せながら手を振ってみせた。さらわれるのではなく帰るのだと理解した村人たちは、それぞれ大声でイタチに礼を言いながら大きく手を振って見送った。ドンブリの中へイタチが吸い込まれると、それは真上に急上昇して朝焼けの空へ消えて行った。
イタチが借りていた畑からは、その後も野菜が実り続けた。村人たちはその野菜を病に苦しむ人々に無償で分け与え、イタチの野菜はたくさんの人を癒し続けた。村は誰からともなく奇跡の村と呼ばれるようになったのである。