佳作「たまご拾い 坂倉剛」
土曜の夜、僕は妻といっしょに台所に立って夕飯のしたくを手伝っていた。
「卵を割ってちょうだい。二個ね」
「はいよ」僕は言われたとおり卵を二つボウルに割り入れた。
箸で卵をかき混ぜようとすると、妻がこんなことを言い出した。「卵って、どの部分がひよこになると思う?」
「そりゃあ黄身だろ」
「ブブー、残念」妻はいたずらっぽく笑った。
「ちがうのか? え、だってひよこって黄色いじゃないか。黄身の部分が大きくなって、ひよこになるんじゃないの?」
「ふっふっふっ。典型的な思いこみね」
「まさか白身の部分がひよこに育つのか?」
「そんなわけないでしょ。白身は水分を補給するのと、胚を保護するためにあるのよ」
「胚……。ひさしぶりに聞いたよ、その単語」
「というわけで黄身の上に胚が発生してそれが大きくなってひよこになるのでした。ちなみに、あなたが割ったそれは無精卵だから胚はないわよ。黄身にくっついてる白いひもはカラザね」
「じゃあ黄身はなんなんだ?」
「胚が育つための栄養素よ」エプロンをつけた胸をそらして、妻は勝ちほこったようにいう。
「メシ作ってるときにそういうこというなよ」
僕は卵の黄身に箸を突き立てると、いきおいよくかき混ぜた。
僕たちは食事しながら卵の話をした。
「卵といえば」妻が言った。「むかし、こんな絵本を読んだことがあるわ。大きな卵が地面に落ちてるの。それを見つけた村人が『もうかった、もうかった。たまごだ。たまごだ』ってはしゃぎなから、大きな卵を家に持ち帰ろうとするのよ」
「それはダチョウかなにかの卵なのか?」
「ううん、そうじゃないの。大ワシ ものすごく大きなワシがバサバサバサーって飛んできて、卵をガシッとつかんで飛んでいってしまうのよ」
「大ワシの卵だったのか。村人はどうなったんだ?」
「大ワシにつかまっちゃって、卵といっしょに空のかなたへ消えちゃうの」
「落とし物をネコババしようとすると痛い目にあうってか。分かりやすい教訓だな」
「そうね」
話はやがて僕ら夫婦の間のことに移った。結婚してもうすぐ一年、二人とも子供がほしいという気持ちが高まっていた。男の子がいいか女の子がいいか、どんな名前にしようか、おたがいの両親も孫ができてよろこぶだろうな などなど、話題は尽きなかった。
その夜は何度も愛しあった。以前は相手のことが好きだという気持ちだけでしていた行為を、もう一歩踏みこんで子供を作るという共通の目的意識を抱いてのぞんだ。こちらの方がよりしぜんな営みだと感じたし、妊娠を避けなくていいので体もいっそう満たされた。
気がつくと、夜が白々と明けはじめた。僕らは微笑を交わし、口づけを交わした。
とつぜん暗くなった。まるで夜に逆戻りしたかのように。
「曇ってきたのかな?」と思った次の瞬間、家がグラグラ揺れ出した。
「きゃあ地震よ!」妻が悲鳴を上げた。
「とりあえず服を着るんだ」と僕は言った。
「早く。早く。外へ逃げるぞ!」
その後に起こった惨劇は災害などという生やさしいものではなかった。地面が割れ、津波が押し寄せ、建物は倒れて壊れ、人々はなすすべもなく押しつぶされ、あるいは流されていった。
震動はおさまる気配を見せなかった。激震の階段が去った後も、余震にしては強い揺れがとぎれることなくつづいた。テレビもラジオも機能がストップしてしまったらしく、状況が把握できなかった。インターネットも役に立たなかった。逃げるのにせいいっぱいの者がどうやってコメントしたり、つぶやいたりできるだろう。
天変地異の発生から丸一日が経った。あいかわらず外は真っ暗で、地面も割れている。
僕はがれきの下でかろうじて生きながらえていた。妻はケガをしていたが、なんとか無事だった。僕は情報を得ようとスマートフォンを操作した。
難を逃れたマスメディアがニュース映像を流していた。信じがたい光景が映っていた。それは人工衛星に搭載されたカメラによる映像で、宇宙空間の様子をとらえていた。
地球よりもはるかに巨大な怪物が、地球をがっしりと爪でつかんで虚空を飛んでいる。
どうやら僕らが地球と呼んでいるボールは、怪物の卵であったらしい。海が卵白、陸が卵黄にあたるのだろうか。だとしたら森も山も大地も、地球上の全生物も含めたあらゆる物が、胎児を育む栄養素なのかも知れない。