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佳作「しっぽの落とし物 石黒みなみ」

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第26回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「しっぽの落とし物 石黒みなみ」

生暖かい風の吹く春の夜だった。バイトの帰り、道に何か落ちているのに気がついた。かがみこんでみると、ふさふさした茶色のしっぽだった。思わず拾い上げた。三十センチくらいの長さだ。ぬいぐるみがちぎれたのだろうか。そうだ、写真を撮ってSNSでアップすると面白いかもしれない。僕はうきうきとしっぽを持って家に急いだ。

帰ってから、今晩中に大学の授業レポートを書いて送らなければいけなかったことを思い出した。古典入門とかいう授業で見た歌舞伎のDVDの感想文だが、ほとんど寝ていたのでよくわからない。とりあえずタイトルだけ入力したが、何か書けるはずもない。

画面を見つめているとチャイムが鳴った。一人暮らしの僕の所に今頃誰だろう、とドアを開けると、なんとキツネが立っていた。

「あの、しっぽを拾われませんでしたか」

「拾ったけど」

「あれは私のしっぽなのです」

キツネはくるりと回って僕にお尻を向けた。確かにしっぽがない。本物だったのか。恐縮しているキツネを部屋に入れてやった。テーブルの上のしっぽを見るとキツネは

「まちがいなく私のです。ありがとうございます」

と言い、すぐさましっぽをお尻につけた。

「しっぽを落とすなんてことがあるんだね」

「ええ、ずいぶんそそっかしいもんで」

キツネは恥ずかしそうに言った。

「では、どうもお邪魔いたしました」

帰ろうとするキツネを僕は呼び止めた。

「おいおい、こういう時、普通はお礼をするもんじゃないのか」

キツネは慌ててこちらを向いて頭を下げた。

「すみません、忘れていました」

ほんとにそそっかしいキツネだ。

「ではこれを」

キツネの差し出した手に一万円札が乗っていた。思わず伸ばした手を、待てよ、とひっこめた。

「明日には葉っぱに戻ってるんじゃないのか」

「それはまあ、キツネのお札ですから」

「困るよ。別のものにして」

言いながら気がついた。

「今晩中にレポートを書いてメールで送らなきゃならないんだ。頼むよ」

キツネは困った顔をした。

「パソコンですか。キツネですからアナログなんです」

「でも中身は古典だよ」

僕は渋るキツネをパソコンの前につれていった。腕組みをして画面をのぞき込んだキツネの顔がとたんに輝いた。

「蘆屋道満大内鏡。葛の葉狐の話ではありませんか。大丈夫、まかせてください」

キツネは胸をはった。そうか、あれはキツネの話だったのか。キツネはしばらくパソコンに向かっていたが、すぐ僕のほうを振り向いて「できました」と言った。見ると、歌舞伎のあらすじと感想がちゃんと書かれている。キツネ目線だがまあいい。

「すごいね。助かったよ」

「では送信します」

キツネは得意そうにキーを押した。画面には送信済みの表示が出たが、少し心配になった。

「木の葉のお金と一緒で、送信したとたんに消えちゃうってことはないだろうね」

「安心してください。これはキツネのお話ですから専門分野です」

僕はほっとした。

「ではこれで失礼します。今日は本当にありがとうございました」

「もうしっぽは落とさないようにね」

「はい、気をつけます」

キツネは僕にお尻を向けると嬉しそうにしっぽをぱたぱた振りながら帰っていった。見送ってからしっぽの写真を撮るのを忘れていたのに気がついた。少し残念だった。

翌週、僕は先生に呼び出された。

「あのレポート、葛の葉狐の気持ちに寄り添って、君にしてはよくできてたんだけど、どういうわけか、ところどころ文字化けして読めないところがあるんだよ。それもなんだかキツネのしっぽの形の絵文字に見えるんだ。気のせいかな。まあ、レポートの出来に免じて、今回はいいけど次から気をつけるように」

再提出しろとは言われなかったことにひとまずほっと胸をなでおろした。念のため家に帰ってパソコンを見ると、送信したはずのメールはあとかたもなく消えていた。キツネのやつめ、専門分野だって言ったくせに。やっぱりそそっかしい。

それからというものの、先生は葛葉狐の話となると僕に振ってくる。送信したメールが残っていないので見直すわけにもいかなくて困っている。道にまたしっぽが落ちてやしないかと、下ばかり見て歩いているのだが、残念ながら見つからない。キツネのやつ、少しは進歩したんだろうか。