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第16回「小説でもどうぞ」佳作 神様のイタズラ/山川海

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作文・エッセイ
小説でもどうぞ
結果発表
第16回結果発表
課 題

遊び

※応募数206編
「神様のイタズラ」
山川海
 郊外で一人暮らしをしている俺のもとに神様を名乗る女が訪れてきた。マスク越しではあるが可愛らしい目をしており、暫定的には美人といえる。三十年間女性に縁がない俺にとっては喜ぶべき邂逅だが、彼女が一体何の神様なのか、そもそも本当に神様なのかさえ、今のところ不確かである。試しに一万円札を出してくれ、といった瞬間、俺はもう右手に万札を握りしめていた。もう一度、と言いかけたところで、左手はすでに何かを握りしめている。恐る恐る手を開くと、しわくちゃの千円札が入っていた。神様も不況だ。だが、この程度のことは彼女が奇術師たることの証明にはなるが、神様というには少々物足りない。次に考えたのは、コンサートのチケットを当てることだ。お安い御用、と言わんばかりに、五秒もすれば件の着信が俺の当選を告げた。が、これもよく考えれば単なる偶然の域を出ない。最後に、高校生の頃片思いをしていた女性にもう一度会わせてくれ、と頼んだ。しかし彼女は首を振っている。出来ないのか、と聞くと可能ではあるがそうしたくないのだという。理由は俺を愛しているから。冗談が悪い。三十年間いかなる女性にも愛されたことのないこの俺を、いきなり現れた女が愛しているだなんて、なにか企んでいるに違いない。彼女は慌ててそれを否定した。今のところ何の解決にもなっていないばかりか、彼女は本当に俺のことを好きなのか、だとしたらなぜ、という疑問まで浮かんできた。俺は彼女を信じるべきだろうか。
 それから一週間は幸運が続いた。赤信号による足止めが有意に減少した。仕事ぶりが以前に比べ評価され、時給が向上した。それに付随して、職場における人付き合いの改善が見られ、同僚から食事に誘われた。代わりに女性との縁は以前にも増して減少し、これらすべてが彼女の仕業だとしたら、神様というのもあながち間違いではない、などと思うようになった。彼女は俺の部屋に居候しているが、いかなる時もマスクは外さない。しかし、涼しげな風鈴のように気品漂うその声を聴くと、たとえ顔が見えずとも、古典文学さながらつい気になってしまうのだ。女性経験の乏しさもそれに拍車をかける。また、人は不思議なもので愛を受け容れるとそれに報いたくなるらしい。茹でガエルの如き漸次性をもって、俺は恋に落ちていた。俺は遊ばれているのだろうか。
 一月が経ち、互いの愛も平熱になると、塞翁が馬、という言葉が頭に浮かんできた。思えばこのひと月は幸運続きだった。そろそろ絶大な不幸が訪れてもよいのではないか。幸運の連続は不幸の足音と同義に思われた。株と同じく売り時を見極めなければ、それが今だとすれば降りない手はない。最大の不幸は、幸福に耐え切れず自らの手でそれを壊してしまうことにある。不幸な決断を迫られる現状は、果たして幸福だろうか。彼女との破局が頭をよぎった。幸福の連鎖を断ち切ることは、不幸の予防策として有効ではないか。そうと決まれば話は早い。寝ている彼女を叩き落すと、今すぐ出ていくよう告げた。ついでに素顔を見ておこうと思い、マスクを引きはがした。
 驚いた。彼女が美少女であったことは、一抹の後悔と、それを上回る安堵をもたらした。彼女は出て行った。去り際に、この別れは不本意だがやむを得ないものであり、自分はあなたの愛に感謝している、急な非礼を申し訳なく思う、と彼女に告げた。それ以降は平坦な日々が続いた。神様の正体は、わからずじまいだ。
 ちょうどひと月が経った。仕事を終えて帰路に着く。会社の最寄り駅で、見覚えのある女が俺を待っていた。恐ろしくなり、一本見送ることにした。列車が到着しても女は列をよけて乗ろうとしない。彼女と復縁するべきだろうか。交際の終盤、幸福な俺は確かに不幸であった。ならば、そろそろ復縁を迫ってもよいのではないか。受け容れられればそれでよし、仮に振られたとして、それはより良い出会いに向けての布石となるだろう。どちらに転んでもうまくいくこの状況は確かに幸福だが、幸福に気が付いた瞬間、俺は不幸になるのだ。不幸を自覚した瞬間、幸福になる準備はできている。まるで環状線のように息つく暇もなく、行き着く当てのないこの議論に終止符を打とう。こうなれば運命を神に委ねるほかはない。そうこうしているうちに次の列車が来た。彼女の足元がおぼつかない。今にも線路に転落しそうだ。酒に寄っているのか、それとも俺を試しているのか。判断より先に足が動いた。高速で迫りくる鉄塊から彼女を守るべく、俺は手を差し伸べた。彼女は俺の手をつかむと、確かにほほ笑んだ。次の瞬間、バランスを崩した俺は鉄の塊にはねられ、肉の塊へとなり果てた。
 目を覚ますとそこは天国だった。なぜなら、そこには彼女がいたからだ。