第16回「小説でもどうぞ」選外佳作 グローブジャングルに乗って/稲尾れい
第16回結果発表
課 題
遊び
※応募数206編
選外佳作
「グローブジャングルに乗って」
稲尾れい
「グローブジャングルに乗って」
稲尾れい
小学生の頃以来、約二十年振りに訪れた地球公園は記憶より幾分小ぢんまりとしていた。五年前に美空が生まれてから、実家へはしばしば連れ帰っていたけれど、現在の私の足でも歩いて十五分は掛かるこの公園に連れてきたのは今日が初めてだ。二十年前に良く遊んだ箱型ブランコもシーソーも今は既になく、残っているのは低くて丸っこい山型のモルタル製のすべり台と昔ながらの鉄棒、そして。
「あっ、なにあれ!」
私の手をパッと離し、美空が入口の金属柵を走り抜けてゆく。近所の公園にあるカラフルな最新式の樹脂製遊具に飽き気味の娘には、年季の入った見慣れない遊具が新鮮らしい。
私を含むかつての子供達は、入口の看板に書かれている正式名称ではなく『地球公園』という愛称でここを呼んだ。由来は美空が今まさに片足を掛けて登らんとしている、地球儀のように回る青色のグローブジャングルだ。子供の頃にはもっと巨大な球体だと思っていたが、公園の広さ同様、今見ると大きさは案外普通だ。とは言え、頂上までは二メートル程あり、子供が登る遊具としては充分高い。
登ってゆく美空を見ながら、あれと思った。体重が掛かると緩慢に回転を始めるはずの球体はどっしりと沈黙したままだ。地面から細い金属パイプが何本か伸び、球体の下部をつなぎとめている。良く見ると、どうやら中央の回転軸も固定されているようだ。球体の塗料が褪せてところどころ剥げているのにパイプは本体より濃い青でみっちり塗られており、何だか本体と馴染むのに失敗した感じだ。
「何だあ。もう回らないのか」
思わず一人ごちる。落胆と安堵がない交ぜになり複雑だ。更に登ろうとしていた美空が耳ざとく聞きつけ、首だけをこちらに向けた。
「ねえねえお母さんっ。本当はこれ回るの?」
「ああ、うん。お母さんが子供の頃には、ね」
「えー、なんで今は回らないの?」
「やっぱり危ないからじゃないかな。古いし」
お母さんの時ばっかりずるい、と首をひねったままごねる美空に、ほらちゃんと前を見て足元に気を付けて登るんだよ、と注意する。
美空の気持ちは分かる。グローブジャングルが人気だったのは、回るからだった。子供同士で回すのも楽しいし、ごくたまにその場に居合わせた誰かの親や兄姉に力一杯回してもらうのもスリルがあった。子供の力でしがみついて遠心力に耐えるのは少し怖くて、実際、遊んでいる最中に怪我する子も時々いた。私自身も回転している球体に登ろうとしてバランスを崩したまま引きずられ、膝を擦りむいたことがある。でも傷を洗い絆創膏を貼ってもらった脚ですぐまたグローブジャングルに登っていた。当時ここで遊んだ子供達には多かれ少なかれそんな思い出があるんじゃないだろうか。一方で、母親としての私は美空に少しでも危険が及ぶような遊具は遠ざけたい。今はなき箱型ブランコもシーソーも、落ちた子供が遊具と地面の間に挟まれるなどの事故が多発して問題になったのではなかったか。それらを撤去しグローブジャングルを固定した公園の管理者には、ナイスなお仕事です、と心底言いたい。けれど美空にずるいと言われて、正直切ない。気持ちは分かるから。
私の注意通り登ることに集中し始めた美空は、すぐに私を見向きもしなくなった。私の方は美空の様子を気に掛けつつグローブジャングルを離れ、ベンチに座る。懐かしくも変わってしまった公園内を改めて見渡した。
段違いに三つ並んだ鉄棒の一番低い場所にいつの間にか女の子がぶら下がっていた。両手両脚を鉄棒に絡ませ、文字通りぶら下がっている。『豚の丸焼き』だ。思わず頬が緩む。私は小学生になっても逆上がりが出来ず、けれど前回りばかりでも味気なく、鉄棒ではこの『豚の丸焼き』と両足で逆さまにぶら下がる『こうもり』ばかりしていた。美空は母親に似ず幼稚園年中組にして逆上がりが得意だ。美空と同年代らしいこの子は私のお仲間かな、と若干失敬な想像をしていると、彼女は両脚をほどいて思いの外軽やかな身のこなしで着地した。モルタルのすべり台に登り、前のめりにすべり降りると、その勢いでグローブジャングルの方へとずんずん歩み寄ってゆく。
頂上付近に腹這いになった美空は球体の枠を握りしめ、見知らぬ女の子がするする登ってくるのを見ていた。やがて同じ高さに至った女の子は空を指差し、美空もそちらを見上げた。『知ってる? ここから他の星に電波を送れるの』『あっ実はボール型宇宙船なのかも』ひそひそ交わされる声が時折こらえ切れないように高く弾け、ベンチの私まで届く。
そうだ。どんな場所に居ようが、遊具が回ろうが回るまいが、子供達はその場所で一番楽しく遊ぶ術を知っている。その楽しさを完全に奪うことなど、誰にも出来はしないのだ。
子供達を乗せたグローブジャングルが地面から金属パイプを引っこ抜いて宇宙へと旅立ってゆく光景が、一瞬私にも見えた気がした。
(了)
「あっ、なにあれ!」
私の手をパッと離し、美空が入口の金属柵を走り抜けてゆく。近所の公園にあるカラフルな最新式の樹脂製遊具に飽き気味の娘には、年季の入った見慣れない遊具が新鮮らしい。
私を含むかつての子供達は、入口の看板に書かれている正式名称ではなく『地球公園』という愛称でここを呼んだ。由来は美空が今まさに片足を掛けて登らんとしている、地球儀のように回る青色のグローブジャングルだ。子供の頃にはもっと巨大な球体だと思っていたが、公園の広さ同様、今見ると大きさは案外普通だ。とは言え、頂上までは二メートル程あり、子供が登る遊具としては充分高い。
登ってゆく美空を見ながら、あれと思った。体重が掛かると緩慢に回転を始めるはずの球体はどっしりと沈黙したままだ。地面から細い金属パイプが何本か伸び、球体の下部をつなぎとめている。良く見ると、どうやら中央の回転軸も固定されているようだ。球体の塗料が褪せてところどころ剥げているのにパイプは本体より濃い青でみっちり塗られており、何だか本体と馴染むのに失敗した感じだ。
「何だあ。もう回らないのか」
思わず一人ごちる。落胆と安堵がない交ぜになり複雑だ。更に登ろうとしていた美空が耳ざとく聞きつけ、首だけをこちらに向けた。
「ねえねえお母さんっ。本当はこれ回るの?」
「ああ、うん。お母さんが子供の頃には、ね」
「えー、なんで今は回らないの?」
「やっぱり危ないからじゃないかな。古いし」
お母さんの時ばっかりずるい、と首をひねったままごねる美空に、ほらちゃんと前を見て足元に気を付けて登るんだよ、と注意する。
美空の気持ちは分かる。グローブジャングルが人気だったのは、回るからだった。子供同士で回すのも楽しいし、ごくたまにその場に居合わせた誰かの親や兄姉に力一杯回してもらうのもスリルがあった。子供の力でしがみついて遠心力に耐えるのは少し怖くて、実際、遊んでいる最中に怪我する子も時々いた。私自身も回転している球体に登ろうとしてバランスを崩したまま引きずられ、膝を擦りむいたことがある。でも傷を洗い絆創膏を貼ってもらった脚ですぐまたグローブジャングルに登っていた。当時ここで遊んだ子供達には多かれ少なかれそんな思い出があるんじゃないだろうか。一方で、母親としての私は美空に少しでも危険が及ぶような遊具は遠ざけたい。今はなき箱型ブランコもシーソーも、落ちた子供が遊具と地面の間に挟まれるなどの事故が多発して問題になったのではなかったか。それらを撤去しグローブジャングルを固定した公園の管理者には、ナイスなお仕事です、と心底言いたい。けれど美空にずるいと言われて、正直切ない。気持ちは分かるから。
私の注意通り登ることに集中し始めた美空は、すぐに私を見向きもしなくなった。私の方は美空の様子を気に掛けつつグローブジャングルを離れ、ベンチに座る。懐かしくも変わってしまった公園内を改めて見渡した。
段違いに三つ並んだ鉄棒の一番低い場所にいつの間にか女の子がぶら下がっていた。両手両脚を鉄棒に絡ませ、文字通りぶら下がっている。『豚の丸焼き』だ。思わず頬が緩む。私は小学生になっても逆上がりが出来ず、けれど前回りばかりでも味気なく、鉄棒ではこの『豚の丸焼き』と両足で逆さまにぶら下がる『こうもり』ばかりしていた。美空は母親に似ず幼稚園年中組にして逆上がりが得意だ。美空と同年代らしいこの子は私のお仲間かな、と若干失敬な想像をしていると、彼女は両脚をほどいて思いの外軽やかな身のこなしで着地した。モルタルのすべり台に登り、前のめりにすべり降りると、その勢いでグローブジャングルの方へとずんずん歩み寄ってゆく。
頂上付近に腹這いになった美空は球体の枠を握りしめ、見知らぬ女の子がするする登ってくるのを見ていた。やがて同じ高さに至った女の子は空を指差し、美空もそちらを見上げた。『知ってる? ここから他の星に電波を送れるの』『あっ実はボール型宇宙船なのかも』ひそひそ交わされる声が時折こらえ切れないように高く弾け、ベンチの私まで届く。
そうだ。どんな場所に居ようが、遊具が回ろうが回るまいが、子供達はその場所で一番楽しく遊ぶ術を知っている。その楽しさを完全に奪うことなど、誰にも出来はしないのだ。
子供達を乗せたグローブジャングルが地面から金属パイプを引っこ抜いて宇宙へと旅立ってゆく光景が、一瞬私にも見えた気がした。
(了)