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第16回「小説でもどうぞ」選外佳作 静かな夜の遊び/チバハヤト

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作文・エッセイ
小説でもどうぞ
結果発表
第16回結果発表
課 題

遊び

※応募数206編
選外佳作
「静かな夜の遊び」
チバハヤト
 夜九時三十分、今日も僕の静かな遊びがスタートする。その遊びは静かに始まり、時に激しく、時に心をざわめかせ、一日の中で最もエキサイティングな空間に僕を引き込む。
 僕は世間的に言えば「ブラック企業」と言われる部類の会社に勤めている。始業時間は朝の八時三十分。終業時間はどれだけがんばっても夜の九時頃だ。給料はそれなりに高いが、座っていることが多いため、運動不足になる。若い頃はそれでも良かったが、四十を過ぎた頃から健康診断に引っかかるようになった。昨年も血圧やら血糖値やらの複数項目が再検査になった。再検査を受けに行くと、医者は決まって僕に言う。
「運動不足ですね」
「はあ……でも運動する時間が無いんです」
「時間は作るんです」
 ぐうの音もでない。どストレートの直球だ。確かに分かっているが、仕事も忙しいし、おいしい物いっぱい食べたいし、酒も飲みたい。でも、健診の数値がそろそろ放置できない値にまで上がってきた。一念発起して、僕は最寄り駅までの交通手段をバスから自転車に切り替えた。自転車通勤にすると、駅まで約五キロの道のりを、自転車で三〇分弱こぐことになる。往復で約一時間の良い運動になるのだ。
 自転車に乗り始めて一か月は筋肉痛との戦いだった。僕の家から駅までの道は、行きは下りが多い分、帰りは上りが多い。中でも特に、駅の近くには「アルプス」と呼ばれている急な坂がある。約一キロに渡って急こう配が続く、自転車泣かせのとんでもない坂だ。
 最初はアルプスを上りきるだけで大変だった。なんとかギアを一番低くして上れたが、脚がパンパンになり、いくらストレッチをしても筋肉痛が絶え間なく訪れた。
 しばらくして、僕はこの通勤の中に一つの遊びの要素を見つけた。それが、「電動自転車にスピードで勝つ」ことだ。僕はノーマル自転車だが、それと比べて電動自転車は圧倒的有利だ。電動自転車は、一こぎでノーマル自転車の二~三回転分の推進力がある。
 遊びの要素を見つけたのは良いものの、どれだけ頑張ってこいでも電動自転車にはなかなか勝てなかった。平坦な道では良い勝負をしても、坂道で一気に抜き去られるのだ。
 三か月ほどして、僕は電動自転車の弱点に気付いた。電動自転車はパワーがある分、車体が重いのだ。坂道をスムーズに進めるが、車体が重い分、一定以上のスピードは出ない。これだ。僕は一人ほくそ笑み、作戦を練った。
 まず、駅を出た地点から坂の下まではギアを上げて全速力でこぎ、アルプス坂の下に来たら一気に立ちこぎにチェンジする。ギアを軽くし回転数を上げ、一気に坂の上まで上りきる――という作戦を立てた。よし、やってみよう。
 僕は、同じ時間の電車で帰ってくる一人の会社員風のお姉さんに目を付けた。彼女は最新式の電動自転車を颯爽とこいで帰路に着く。お姉さんは意にも介していないだろうが、一週間ほど前から個人的に勝負を挑んでいる。途中までは後ろになんとか着いていくのだが、惜しいところで勝てていない。だが、お姉さんは坂道の終わりでややスピードを緩める傾向がある。そこを狙って最後の力を振り絞り、一気に抜き去る作戦だ。
 今日こそ絶対に勝つ。
 戦いの始まりは午後九時三十二分。戦いは坂の上のコンビニまで、と勝手に決めた。お姉さんはいつもコンビニ付近で右手に曲がる。僕は左手に曲がるので、勝負は駅からコンビニまでの一本勝負だ。行くぜ! 気合十分でスタートしたが、始動は電動の方が早い。僕は足が少しもつれ、遅れを取った。アルプス坂に差し掛かり、お姉さんは颯爽と坂道を上っていく。やや遅れて僕もギアを下げ、競輪選手並みの立ちこぎで一気に距離を詰めていく。汗が噴き出てくる。息が苦しい。死に物狂いで必死にこぐ。ラストスパートをかけると、お姉さんとの距離が十m、五mと徐々に縮まっていく。もう少しで追い抜ける。あと少し、あと一m、五〇㎝、よし! コンビニの数m手前でお姉さんを追い抜いた。完全勝利だ。ツールドフランスで優勝した選手のように、僕は手を突き上げ、叫んだ。
「やった、やったぞ!」
 ……と、いうオチまで付いた妄想をするのが僕の遊びだ。
 本当の僕は今日も仕事後に歓楽街へ行き、妄想を肴に酒を飲み、締めにラーメンを食べる。仕事で疲れ果てているのに、ストイックな自転車通勤なんてできっこない。自転車でアルプス坂を必死にこぐサラリーマンを横目に、今日も僕はバスで家路につく。検診の値は気になるが、おいしいものとお酒の誘惑には勝てずに現在に至っている。
 今日も静かな夜の遊びは続く。
(了)