第18回「小説でもどうぞ」佳作 Fの湯/田中ダイ
第18回結果発表
課 題
噂
※応募数273編
「Fの湯」
田中ダイ
田中ダイ
父の葬儀に来てくれた見知らぬ人々は、Fの湯の常連さんたちだったらしい。
「突然のふほう、ふびんです」と言う彼等に対し、母はひたすら「ふがいないです」と返していた。こんなときでも繰り出されるFの湯ルールに、私は少々呆れていた。
でもあの皆さんのおかげで、お焼香が湯けむりに見えちゃって、と母親は涙をこらえつつ親族を笑わせていた。
前日まで、父はぴんぴんと元気だったのだから、そりゃあみんなびっくりしただろう。死因は、自宅での転倒だった。医者も驚く打ちどころの悪さだったのだ。
葬儀の後、母は、次からお風呂一人で行くのか、と小さくつぶやいた。そのしょげ方に心配をしていたのだが、しばらくして突然母に呼び出された。
「ちょっと、まりちゃん! 大変なことになっちゃった、すぐに来てちょうだい」
裏返った母の声色に、私はすっ飛んで行った。地元でもひときわ目を引くあばら家。室内も相変わらず雑然としている。
「ねえ聞いてよ。お父ちゃんたら、とんでもないものを残していったんだよう。私はもう、Fの湯に行けないよ」
すき間風で、線香のけむりがハイスピードで居間に流れてくる。振り向くと喜寿のお祝いに撮った、満面の笑みの父の遺影と目が合った。妙な胸騒ぎ。
「い、い、一億円⁉」
座卓には、『全国宝くじ協会 高額当選者様へ』と書かれた冊子と、我が家のリフォームの見積書や契約書が並んでいる。
父が残したものだという。なんと母には一切内緒にしていたらしい。本当なら二人で享受するはずだったのに、あわれなものだ。
でも宝くじに当選したことで、なぜ母がFの湯に行けなくなるのだ?
「つまりさ、お父ちゃんが死んじゃったことで、私が疑われているかもって話なの」
母は息を吐き、ぐびっとお茶を飲んだ。どうやら父は、当選の手続きや、リフォームの依頼をした直後に転倒してしまったらしい。
それが今になって、何も知らない母の元に送られてきたというのだ。なんというタイミングの悪さだろう。
「きっと言われてるよ。ふしぜんだとか、ふきつだとか……」
Fの湯といえば、この町の情報発信源だということは誰もが知っている。
当初「不動の湯」「冨士の湯」「フラミンゴの湯」で迷った先代が、結局「ふ」を残して「Fの湯」とした。それを面白がって「ふ」縛りの会話が流行りだしたのだそうだ。
男湯で父が、女湯で母が、何かしらの噂話を持ち帰るのが日課だった。世界情勢から近所のコンビニのイケメンバイトの話まで、何でもあり。最高の娯楽だ。
「○○さんとこは、よりが戻ったってさ」
「ああ、ふくえんだね、そりゃ」
「ところが奥さんはふきげんなんだって」
「なんでまた?」
「○○さん、気が抜けて、ふせっせいでふとってふせいみゃくだってさ」
あはは、そりゃ大変だと笑って、湯舟につかり汗も疲れも洗い流す。
父と母もそうやって長年、嬉しい話、辛い話と共に通い続けたのだ。自分らには資産もないが隠し事もない、と開けっぴろげなおしゃべりを何より楽しんでいた。
それがまさかこんな特ダネを残して逝ってしまうなんて、夢にも思わなかっただろう。
「お父ちゃん、なんで黙っていたんだろう?」
「それがね、言ってたんだって。男湯の中では。知り合いの建具屋さんに、もし当選してたらすぐに工事に入ってくれって頼んであったんだって。びっくりだよね」
母だけが知らなかったのだ。銭湯の壁一枚向こう側で、父は母に向けて一世一代のサプライズを企画していたのか。
父の望みは叶った。でも一人先に逝ってしまった。母は、きっと今頃Fの湯の恰好の噂話になっているはずだとうなだれた。
「でもさ、家を直したら、もうわざわざ銭湯に行かなくてもいいんじゃない?」
そう言っても、もちろん母のなぐさめにはならない。あの場所、あのお湯が大好きだったのだから仕方がない。
「お母ちゃん、ふてくされて、ふかざけして、ふてねなんてだめだよ」
数日後、私も常連風に言いながら、やっぱり行ってみなきゃわかんないでしょ、と母をFの湯に引っ張って行った。
案ずるより産むが易し。Fの湯の常連さんたちは、母を待っていてくれたのだ。
「旦那さんはお気の毒だったけれど、ご利益がある銭湯だってことになりましてね」
見上げると、Fの湯の看板の下にもう一枚、新たな看板が。そこにはでかでかと「富豪の湯」と書かれているのだった。
(了)