第18回「小説でもどうぞ」佳作 ツチノコ/藤峰傑
第18回結果発表
課 題
噂
※応募数273編
「ツチノコ」
藤峰傑
藤峰傑
「俺な、こないだツチノコ見たんや」
小学三年生の夏休みを直前に控えたある日の休憩時間、土屋くんは僕たちクラスメイトの輪の中心で鼻腔を膨らませ言い放った。それから「一匹とかちゃうで、数え切れへんほどの大群が川の中に飛び込んで行ってん」と続けた。お調子者のオチョが言ったならば誰もが笑って真に受けようとはしなかっただろう。ところが土屋くんである。成績優秀で運動神経もよく、真面目すぎず堅すぎもしない土屋くんは、先生からも生徒からも一目置かれていた。それだけに興奮した様子の土屋くんの発言は奇妙な真実味を帯びていた。
そして、放課後に皆で目撃現場を見に行くことになった。土屋くんは意気揚々と僕たちを先導した。河川敷に到着し「うん、ここやわ」と言って土屋くんが指さした先の土には川に向かって幾つもの筋がまっすぐ伸びていた。ヘビを縦にぎゅっと圧縮した薄茶色の生き物が尻尾で残した線なのだという。土屋くんに言われるとツチノコの大群が身をよじって目の前を横切る様子が目に浮かんだ。僕たちは周りの草むらを掻き分けてまだツチノコが残っていないか探した。棲み処を変えたのだろうと下流へと歩いてもみた。しかしツチノコはどこにも見つからなかった。土屋くんは残念そうな顔をしていたが、その様子がことさら真実味をかきたてていた。それから河川敷でツチノコを捜索して帰るのが僕らの日課となった。それは終業式の日まで続いた。
夏休みが終わり、みんなが集まるはずの教室に土屋くんの姿はなかった。夏休み中も何回かオチョたちとツチノコを探す冒険に行っていた。当然、土屋くんも誘おうとしたのだが、いつも家には誰もいなかった。毎年恒例の海外旅行に行っているんだろうと思った。だから僕たちは「海外旅行するんやったら言ってけよ! 腹立つなあ」と笑いながら羨ましがっていた。しかし朝の会で先生がさらりと放った一言で、僕たちは土屋くんが転校したことを知った。先生はさりげなく流したかったのだろうが、教室は当然のごとくざわついた。「なんで?」「どういうことなん?」あちこちから声が上がり教室が揺れた。僕も理解が追い付かなかった。どうして土屋くんは黙って転校してしまったのだろう、彼にとって僕たちはそれだけの存在だったのだろうか、と。
数日後の五分休みに、オチョはニヤついた顔で「なあ、聞いた?」と僕に話しかけた。反応に困る僕を前に、彼は「土屋の家族な、借金取りから逃げ出したらしいで」と囁き声で続けた。僕は「絶対嘘やん、土屋くんに限って」と笑いながらツッコんだ。しかしオチョは表情を崩さずに僕を見つめていた。その表情は僕の無知を前に優越感に浸っているようにも見えた。その話をどこで聞いたのかと僕は訊ねた。オチョによると母親がママ友から聞いてきたのだそうだ。だから、タカシやサトルもこの噂を知っているのだという。そして、授業開始のベルが鳴り、「やから土屋は俺らをおちょくってツチノコの嘘なんか吐いたんや」と言い捨て、オチョは自分の席に戻っていった。
その後の授業中、僕はずっと土屋くんのことを考えていた。オチョの言ったことは本当に本当なのだろうか。大人が言っていることだから本当なのかもしれない。それでも、土屋くん家に限って夜逃げするなんて考えられない。土屋くんが嘘を吐いて僕たちを嘲笑うなんて考えられない。そもそも、嘘を吐くにしてもどうしてツチノコなのだろうか。土屋くんだったらもっと知的な嘘を思いつくに違いない。それに「ツチノコを見た」と言ったあの熱量は演技などでは決してなかった。土屋くんがツチノコの大群を見たことは、紛れもない事実なんじゃないだろうか。じゃあ、なぜ土屋くんは僕たちの前から姿を消したのだろう。この二つの事実には何か関連があるんじゃないか。僕は何分もかけて知恵を絞った。その末に一つの結論に辿り着いた。ツチノコは政府に隠されたこの国の秘密を握る存在なんだ。ツチノコが明るみに出たらこの国が揺るがされてしまうんだ。だから秘密を知ってしまった土屋くんは家族もろとも消されてしまったんだ。そうに違いない。
授業が終わると、オチョは土屋くんの話でまた僕をおちょくってきた。オチョが何も知らない愚か者にしか見えず、僕はオチョを鼻で笑った。オチョは顔を赤く染めて僕に殴りかかった。僕はオチョの拳をかわしてオチョの顎にカウンターを入れた。オチョの身体は周りの机をなぎ倒して床に転がった。放課後、先生に叱られ居残りをさせられた帰り道、土屋くんの家の近くでサングラスをかけて真っ黒なスーツを着た政府の手先を見かけた。僕は気づかないふりをして駆け足で家に帰った。
あれから二十年が経った。僕は今でもツチノコを探している。
(了)