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海洋時代小説での難破にご用心

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作文・エッセイ
作家デビュー

貝殻で海を量ってはいけない

  最近、何作か、プロ作家志望のアマチュアが書いた、海洋冒険時代劇を読んだが、予想以上に、みんな、海のことを知らない。

  おそらく選考委員も海のことを知らないだろうから、これでも通用するかも知れないが、もし選考委員の中に外洋にまで海釣りに出かける趣味の人間がいたら、アウト。

  江戸湾――この言葉は幕末まで見られない。黒船が来航するようになって以降である――を出て、房総半島の野島崎と三浦半島の間にある浦賀水道を出ると、黒潮の流れる海域に突入する。

  日本海流であるが、これは明治時代の言葉。

  志賀重昂が明治二十七年に著した『日本風景論』に「太平洋沿岸の南半は赤道海流(黒潮)の洗ふ所となり、北半には寒帯海流(親潮)駛走し」と出て来るので、この頃に生まれた言葉だろう。

  したがって江戸時代が舞台の物語に「日本海流」は使えない。

  文献上の「黒潮」の初出は滝沢馬琴が文化四年(一八〇七)から書き始めた『椿説弓張月』だが、この頃には周知していたと考えられる。

「太平洋」は村田文夫が明治二年に著した『西洋聞見録』での翻訳造語なので、これも時代劇には使えない。

  世界一周したマゼランが命名した「Mare Pacificum(平穏な海)」を村田が訳したもので、江戸時代までは「大東海」と呼んだ。

  黒潮の流速は3ノット(時速5・56㎞)から5ノット。江戸時代の前半まで、この流速に逆らって航行する航海術が開発されていなかったので、関東から関西方面に行くには北に向かって津軽海峡を越え、日本海に出る必要があった。

  ちなみに「日本海」の名称は文化七年(一八一〇)に、アーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルンが命名したもので、それ以前は「鯨海」と呼んだ。

  さぞかし、当時の日本海には鯨や海豚が数多く生息していたに違いない。

  黒潮は、真っ黒というよりは、濃い桔梗色なのだが、遠くからは見えない。海面が光を反射するからで、すぐ間近まで行かなければ「ここから黒潮だ」ということは分からない。

  黒潮に到達したとたんに、あたかも海面に線を引いたかのように「ここから黒潮だ」と、一目瞭然で見て取れる。

  すかさず、波高も高くなる。

  天気予報では波高も報道されるが、あれは、あくまでも「平均波高」である。時には、あの2~3倍もの波が来る。

  だから、時代劇の描写でも、そのように書かなければならない。

  以前『亡国のイージス』という映画があって、海上自衛隊の協力で撮影され、甲板でのんびり寛いでいる場面があった。

  あれは、波の穏やかな瀬戸内海で撮影されたからで、同じ場面を太平洋で撮影したら、激しい揺れで甲板から転げ落ちる。

  なお、瀬戸内海の名称は江戸時代の後期の安政六年(一八五九)になってから。

  それまでは大阪(江戸時代の表記は「大坂」)側から順番に和泉灘、播磨灘、備後灘、水島灘、安芸灘、燧灘と呼んだ。

  瀬戸内海の略称のつもりで単に「瀬戸」とか「瀬戸の海」などと書いた作品もあったが、安政六年よりも前の時代の「瀬戸」には「海峡」の意味しかない。

  なお、「海峡」は文政九年(一八二六)の青地林宗の造語。こういった言語的な時代考証もきちんと押さえて海洋時代劇は書かなければならない。

  志賀重昂著の『日本風景論』に「温暖海流(黒潮の支派、対馬海流)西より到り」」と出て来るので、同時期に「対馬海流」も生まれた言葉だろう。

  それまでは「黒潮」に対して「青潮」と呼ばれた。これは日本最大の『日本国語大辞典』にも出て来ない言葉だが、対馬地方では言われた。

  黒潮よりも淡い青色をしているからで、プランクトンの異常繁殖で漁業被害をもたらす赤潮や青潮とは全くの別物である。

  対馬海流の潮速は遥かに遅く、1ノット~2ノット。当時の航海術でも、乗り越えられたので、現代に比べて遥かに日本海側での物流が盛んだったわけである。

  船に関わる言葉の時代考証も難しい。

「船員」は明治三十二年の造語(法律用語)で、それまでは「水手(『新唐書』の言葉)」か「水主(『太平記』の言葉)を使わなければならない。

「船室」は、明治三年の西周の造語。それ以前の時代ならば、「房(承平四年(九三四)頃の『和名類聚抄』の言葉)」を使わなければならない。

  また、黒潮に突入すると一気に船の動揺が激しくなるので、甲板からの転落防止に、命綱を身体に巻くことが必須だった。

  なお「命綱」は昭和元年の葉山嘉樹の造語なので、それ以前の時代なら「墜落(中国の六朝時代の『顔氏家訓』の言葉)防止(『易経疏』の言葉)用の綱」といった書き方をしなければならない。

「転落」は使えない。「転落」は明治二十三年の矢野龍渓の造語である。

  これほど海洋時代劇を書くのは難儀である。

プロフィール

若桜木虔(わかさき・けん) 昭和22年静岡県生まれ。NHK文化センターで小説講座の講師を務める。若桜木虔名義で約300冊、霧島那智名義で約200冊の著書がある。『修善寺・紅葉の誘拐ライン』が文藝春秋2004年傑作ミステリー第9位にランクイン。

 

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