公募Q&A「応募」 似た作品をいくつも応募すると嫌われる?
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同じアイデアだけど言い回しをちょっと変えたものをいくつも応募するのって、審査員に嫌われるのでしょうか。
審査するのに多大な労力がかかるジャンルでは避けましょう。
主催者は歓迎しても審査員は?
公募が成功したかどうかを測る鍵の一つが応募数です。
想定した応募数の1割も来なかったら成功したとは言えません。その意味では、主催者や企画者にとってはたくさん応募が来ることはウェルカムです。
では、選考する人はどうでしょうか。
選考する人とは、外部審査員や内部の企画者、協力者です。
この場合、1点につき〇円というような契約で審査しているのであれば、どんな作品であろうと多いに越したことはないでしょう。
しかし、内部の人間が審査する場合は「言い回しをちょっと変えたもの」の応募は歓迎しません。ほぼほぼ同じ作品を審査するのは二度手間だからです。
悪目立ちすると「下手な人」という印象がつく
しかし、それもジャンルによります。
標語や川柳、写真などは、比較的審査が楽です。
ベテラン選者は1作品1秒という感じでどんどんよりわけていきます。
「ちょっと変えたもの」があったとしても特には気にせず、機械的にどんどん審査を進めるでしょう。
※注 1作品1秒というのは平均という意味で、当落の判断に迷う作品は保留しておき、あとで吟味するのが一般的です。
文章系の公募の場合はどうでしょうか。
文章には線条性(最後まで読まないと全体が把握できないこと)がありますので、読んでいる途中でテニヲハを変えた程度の作品だと思ったとしても、その時点ではそうだとは断定できません。
だから、最後まで読みますが、それでほぼほぼ同じ作品だったとしたらどうでしょう?
即ボツのような作品だった場合は、そんな作品を二度読まされたという徒労感があります。
秀作だった場合も、ほぼほぼ同じ作品では両方入選とはいきませんので、どちらかは落とさないといけません。やっぱり無駄な作業です。
だからと言って審査員に嫌われるとは限りませんが、たくさん応募した作品がみんな低レベルの作品だった場合、「この人は下手だな」という印象がつき、悪目立ちして名前を覚えられてしまうと、次に応募したときに「今回もまた適当に書いてたくさん出してきたんだろう」というバイアスがかかってしまい、まともな作品であっても下手なように見えてしまいます。それは損ですね。
応募者も選考する審美眼を持とう
「古池や蛙飛びこむ水の音」という俳句を作ったとします。
どこかで聞いたことのある句ですが、例なので気にしないでください。
作ったあと、推敲の段階で微調整し、
「古池に蛙飛びこむ水の音」
と一字変えたとします。
さらに語順を変えてみて、
「水の音蛙飛びこむ古池へ」
と作り変える。
結果、どれか決めかね、審査員に決めてもらおうとばかり三つとも応募する。
まあ、よくあることです。
それで、一番だめだと思った作品が入選し、自信作がボツになったりしますから、一点に絞りきれないのなら複数応募もいいでしょう。
ただし、可能な限り、一度は絞り込んでください。
作ったものを全部応募するというのは、「下手な鉄砲は数を打っても当たるはずがない」という意味でも無駄努力ですし、応募者も審美眼のようなものが養われません。
自分のためにもなるべく絞り、絞りきれなくても同じ着想の作品では応募しないようにしたいものです。