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第21回「小説でもどうぞ」佳作 秘密 吉川歩

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作文・エッセイ
小説でもどうぞ
結果発表
第21回結果発表
課 題

学校

※応募数250編
秘密 
吉川歩

 あっ、と思ったときにはガラスの花びんはロッカーからすべり落ちていた。
 理子がさしだした手の先をあざ笑うように花びんはスローモーションで落下し、教室の床にぶつかった。耳に突きささるような音を立て、ガラスのかけらが散らばった。
 とうめいな花びんには、季節はずれのスイセンを差してあった。理子はランドセルを背負おうとしてふり回し、花びんに当ててしまったのだ。
 真っ青になって耳をすませる。放課後の教室にいるのは日直の理子だけだ。ひとの気配はなく、しんとしている。遠くの音楽室でだれかがピアノを弾いている。
 理子はしゃがんで、掃除道具入れの中のホウキとチリトリでガラスをはき集めた。職員室に行って担任の小谷先生にあやまらなきゃ。そう思ったら、泣きたくなった。
 いつもは「理子ちゃんは勉強できてえらいわ」と褒めてくれる小谷先生だけど、怒ると眉毛がナナメになる。あのナナメの眉毛が理子は苦手だ。あの眉毛になったらもう理子の話なんか聞いてくれなくて、ふだんの優しい先生とは別の人みたいだから。
「あれ、理子ちゃん、おそうじ?」
 理子はびくっとした。ドアのところで、四組の男の先生がにこにこ笑っている。理子が固まっていると、男の先生は「さっすが、優等生はちがうなあ」と言い残して、そのまま行ってしまった。
 理子はチリトリにおさまったガラスのかけらを見た。男の先生は理子が花びんを割ったのを見ていなかったのだ。理子がやったことを知っている人はだれもいないのだ。
 よろよろ立ち上がり、チリトリを持って教室を出た。上ばきのまま中庭に行く。はしっこに使われていない小さな花壇がある。花壇のすみに転がっていた古いスコップを使って理子はそこに穴を掘り始めた。
 スカートの裾が地に着いて汚れ、のびかけの爪に土くれがはさまる。土は固かった。それでも穴が深くなると、理子はそこにガラスと首の折れたスイセンを入れた。
 上から土をかけると、何もなかったみたいに、花壇はまた元通りになった。

 次の日、二年三組は朝からさわがしかった。一時間目から、理科のテスト返しがあったのだ。小谷先生は教卓からいきなり「理子ちゃん」と呼んだ。
 理子の目の前が真っ白になった。もしかして、昨日のことがもうバレた?
 でも、小谷先生の眉毛はナナメじゃなかった。先生は笑った。
「クラスでいちばん点数が良かったのが理子ちゃんでした。がんばったね!」
 みんな、盛り上がった。「理子すげーっ!」とお調子者がさけぶ。理子が賞状をもらうみたいにテストを受け取ると、みんなに「何点? 何点?」と囲まれた。
 それだけではない。その日の理子は絶好調だった。体育のとび箱で五段をとんだし、国語の授業で音読の仕方をほめられた。給食の大きなおかずは大好きな八宝菜だった。
 気分が大きくなった理子は、思いきって友だちに聞いてみた。
「ねえ、教室のうしろの花びん、どこ行ったのかなあ」
 友だちはつまらなさそうに「知らなーい」と言っただけだ。なあんだ、と理子は胸をなで下ろす。花びんのことなんかだれも気にしてないんだ。
 隠しごとは後ろめたいけど、怒られるよりずっとマシだ。花びんを割ったことは秘密にしておこう。だって、こんなにぜんぶうまくいってるんだもん。
 理子はそう決めた。放課後になるころには、気持ちがすっかり軽くなっていた。
 それでも、心のどこかにあのガラスのかけらが刺さっていたみたいだ。帰り道、理子の足はひとりでに中庭へ向かった。花壇の前に来た理子はそこから動けなくなった。
 花壇には一輪の花が咲いていた。昨日はなかった花だ。
 それは小さな、理子が見たことのない花で、花びらはガラスのようにとうめいな淡黄色だった。
(了)