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第21回「小説でもどうぞ」選外佳作 巡回 犀川葉猶

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作文・エッセイ
小説でもどうぞ
結果発表
第21回結果発表
課 題

学校

※応募数250編
選外佳作 
巡回 犀川葉猶

 宿直室の壁にかかった柱時計が十二時を告げた。木枠に刻まれた「卒業生寄贈」の文字が半分消えかけ、振り子には緑青が浮いている。十一回目までは順調だが、最後の一回だけは息継ぎをするように少し遅れて鳴るのはいつものこと。
 巡回の時間だ。私は座卓の上を手早く片付けながら立ち上がった。

 夜の校舎というのはあまり気味のいいものではない。太陽の下ではこれ以上ないくらい健全な活気に満ちているのに、だ。非常灯の緑色の光も、不穏な気持ちを煽る一因かもしれない。昼と夜とでこれほど表情の変わる建物も少ないだろう。
 どこからか水の滴る音が不規則に響いてくる。栓がしっかり閉まっていない水場があるようだ。日中であれば耳に届かないほどのかすかな音が、あたりの静けさを増幅させる。
 
 まず南校舎の三階の端から取りかかる。防音の施された重い扉を開けると、窓からのわずかな明かりを反射して何かがギロリと光った。
 ご多分に洩れず、この小学校にも七不思議というものが存在している。その一つがここ音楽室の「まばたきするモーツァルトの肖像画」だ。
 窓の戸締りを確認したり、準備室の中をあらためたりする間ずっと背中に視線を感じ続けるが、慣れてしまってなんとも思わない。
 そうそう、間違って伝わっている点がある。
 目が動くのはモーツァルトではなく、隣のベートーヴェンの肖像画だ。

 音楽室の次は美術室。ここには「歌う石膏像」がいる。かつては幾体もあった胸像たちも、現在残っているのはミロのヴィーナス一体だけ。会話に飢えているようで、人影を見つけると台座ごと向き直って嬉しそうに話しかけてくる。しかし、彼女の話す言語は古いイタリア語なので、私には理解できない。それならばと音楽室に運んで肖像画と対面させてみたことがあるが、うまくいかなかった。ベートーヴェンは耳が不自由だし、そもそも彼はドイツの人なのだった。
 
 三階のチェックを終えて二階へ移動する。この階段は通常なら二十二段。だが、夜間は数が違う。今日は十五段、昨日は確か三十段だった。どれだけ降りても二階にたどり着かない日だってある。当然、一段一段の高さもその時によって変わるから、ぼーっとしていたら転げ落ちてしまう。注意が必要だ。 
 
 続いて、花子さんの潜む女子トイレ、絣のモンペを履いたお下げ髪の少女たちがミシンを踏む家庭科室を順々に回っていると、何やら話し声が聞こえてきた。
 もう十二時半を過ぎている。外は墨を流したように真っ暗だというのに、こっそり入り込んできた者がいるようだ。
 夜の校舎に忍び込んで肝試しを敢行する子供たちだった。数人で団子のように寄り集まり、首をすくめながら辺りをキョロキョロと見回している。
「こら、何してる」
 怖がらせないように努めて穏やかに声をかけたつもりだが、彼らは悲鳴をあげて驚き、蜘蛛の子を散らすようにすっ飛んで行ってしまった。しかし、足音はしない。足がないからだ。半透明の体から向こうが透けて見える。彼らもまた、不思議の一つというわけだ。
 
 さて、異常なし。すべての教室を確認し終えて宿直室に戻る。飴色に変色した扉が軋んだ音を立ててゆっくり閉まると、枠が徐々に薄れ、やがて辺りの壁と同化して見えなくなった。七番目の怪異「ないはずの宿直室」。
 
 もう何十年前になるだろう、この小学校が全焼したのは。出火したのが深夜だったため、児童や教員たちに被害はなかった。ただ一人、ここで仮眠を取っていた私を除いて。
 
 建て直された明るく近代的な校舎に、かつての面影はなく、宿直という制度自体もなくなって久しい。しかし、闇が満ちれば、以前と同じようにあちこちから影が伸びてくる。学校が好きなのは子供達だけではないということだ。
 
 夜は長い。次の巡回まで一眠りするとしよう。
(了)