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第22回「小説でもどうぞ」佳作 あの子の万灯 稲尾れい

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作文・エッセイ
小説でもどうぞ
結果発表
第22回結果発表
課 題

※応募数242編
あの子の万灯 
稲尾れい

 しだれ桜のような薄桃色の紙の花で飾られた万灯がまたひとつ、行列の中をかれてくる。万灯の明かりに照らされながら、力強い動きでまといを操っている女の子は、小学四年生の峻太と同い年くらいに見えた。
 沿道に立つ峻太の前を、既に何組もの万灯練り行列が通り過ぎていた。けれど彼ら彼女らは峻太からすれば皆大人の人たちばかりだったので、女の子の登場には驚いた。女の子が操るまといは大人たちのものより一回り小さくて、丸い飾りと周りのひらひらが躍動する様子は、はしゃいで踊るタコのよう。揃いの青い半被はっぴを着た大人たちがその周りで笛を吹き、うちわのような形の太鼓やかねを打ち鳴らしている。「よいしょっ」「それいけっ」はやす声と共に、「南無妙法蓮華経」と唱える声も遠くから聞こえてくる。その全てに腹の底がずんずんと震え、何だか笑い出したくなってくる。数時間前にはいつもの教室にいたのに、今はお祭り騒ぎの中。不思議な気持ちになり、峻太はおへその辺りを両手でぐっと押さえた。
 今日は夕方から池上本門寺の『お会式えしき』を家族三人で見に来ていた。峻太が住む川崎市から池上本門寺までは電車と歩きで三十分くらい掛かる。お父さんもお母さんも十八時から始まる万灯練り行列に間に合うようにと、今日は在宅ワークを早めに終わらせたらしい。
「本格的に万灯供養が復活するのは五年振りだって」行きの東急目黒線の中で、お母さんは既にうきうきした様子だった。今年は何かとこんな風に家族で出掛けたがる。自粛していた間の分をうんと取り戻したい、らしい。
「今日、木曜日じゃん。九日ならスポーツの日で祝日だったんだし、お会式も九日にやれば良かったのに」峻太の言葉に、そんな合理的にはいかないのよ、とお母さんは笑う。
「毎年十月の十一日から十三日までの三日間って決まってるの。だから、お仕事を休んで遠いところから参加する人も大勢いるんだよ」
 お祭りのために大人が仕事を休むというのが不思議な気がしたけれど、お父さんが「また祭りに参加出来るようになって良かったな。その人たちも、峻太も」としみじみした様子で言うので、峻太は「うん」とだけ返した。

 女の子は峻太の目の前で足を止め、まといを両手で持って構えた。ほっ、という掛け声と共に背中を通して大きく一回転させる。鮮やかな技に拍手喝采が起こる中、女の子は誇らしげに目をきらめかせ、峻太を見た。本当は自分だって拍手をしたい気持ちだったのに、咄嗟とっさに目を逸らしてしまった峻太は、後続の行列に紛れてゆく女の子を首をもたげて切なく見送った。今日は、あの子のまといデビューの日だったのかも知れない、と思う。五年前に万灯行列があったときは、あの子もまだ小さかっただろうから。峻太と同じように。
 女の子の半被の背中には『静岡〇〇結社』と書かれていた。峻太の一家が住んでいるマンションの、峻太の部屋の窓からは高架線路を走る東海道新幹線が見える。あの新幹線は静岡や名古屋や新大阪に行くんだよ、とお父さんに教わったことを不意に思い出した。
 二十一時前、峻太は駅に向かって歩いていた。屋台が連なる通りには人がいっぱいで、峻太たちとは逆に本門寺の方へ歩いてゆく人も多い。万灯行列は深夜まで続くらしい。賑やかなお祭り騒ぎはまだ終わりそうにないけれど、明日も学校がある峻太はもう帰らないといけない。
「でも、まだ帰りたくないのに」
 今自分が思ったことを呟いた誰かの声に、峻太は辺りを見回した。ボストンバッグを肩に掛け、りんご飴を手にした女の子が、母親らしい女の人と二人、峻太たちの前を歩いていた。まといの女の子に後ろ姿が似ている気がしたけれど、それはもう一度あの子に会いたいという峻太の願望だったのかも知れない。
「ねえ、タコ焼きでも食べながら帰ろうよ」お母さんの声に気を取られた一瞬の隙に、女の子の姿は人混みに紛れて消えてしまった。

 その夜、峻太は珍しく一時過ぎに目を覚ました。お会式楽しかったな、とぼんやり思い、それからガバ、と上体を起こした。窓辺に寄り、カーテンを開く。あの女の子が今夜東海道新幹線で帰ったのかは分からないけれど、静岡まで続いているという線路を見たかった。
 線路の上を万灯がひとつ、ゆっくりと曳かれてゆく。窓の外を見た瞬間、峻太はそんなふうに思った。万灯に見えたのは丸い照明を幾つも付けた保線車両だった。車両にはヘルメットを被った人が乗っており、時々線路に降りてはカンカンと金属音を響かせている。よく見るとそれほど似ていないのに、峻太にはやはりそれが万灯に見えた。今頃はどこかで眠っているに違いない、あの女の子の万灯。
 届かないと分かってはいたけれど、峻太は線路の上の車両とヘルメットの人に向かって大きく手を振った。それからカーテンを閉じて布団にもぐり、もう一度あの子のことを思った。
(了)