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第22回「小説でもどうぞ」佳作 祭りの夜 森啓二

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作文・エッセイ
小説でもどうぞ
結果発表
第22回結果発表
課 題

※応募数242編
祭りの夜 
森啓二

 その島には、女しか棲んでいなかった。南に向いた山の斜面に田畑を耕し、魚を獲って暮らしていた。綿を摘み、はたを織って着るものを仕立て、時には育てたかいこからまゆを採り、絹物も紡いだ。
 島は陸から遥か沖合に見える距離にありながら、漁に出る船も潮の流れが複雑で近寄ることすらできなかったので、陸の人間はそんな島に人が棲んでいるとすら思いもしていなかった。
 外界から孤立したその島は、楽園ともいえた。穏やかな気候に四季もあり、年に数回台風に見舞われることはあるが、夏は男の目も気にならないからか、みな裸で過ごした。
 元をたどれば、理不尽な夫や家から逃げ出した女たちが、駆け込み寺にも逃げ切れず、入水じゅすいしようとして、偶然相次いで流れ着いたのが島の始まりだった。百年以上も前の話だ。どうして潮の流れがそのときだけ彼女らを島に導いたのかはわからない。神の思し召しとしか言いようがない。追いかけた男どもの舟はことごとく潮に押し戻され、岩に砕かれて海の藻屑となった。
 爾来じらい、その島では代々女だけが暮らすようになった。百数十年もの間……?
 女だけの島で、代々とはどういうわけだ? と思うだろう。女だけでは子はできぬ。子種がなければ。
 島の中央の丘の上に、泉が豊富に湧いている。その水は小川を流れて海にそそぎ、灌漑に使われ飲み水にもなるが、それだけではない。
 泉の脇には地下道があった。自然の鍾乳洞だが、それは海の底を通り、対岸の村のはずれのほこらにまで通じている。祠は木々によって器用に隠され、探しても見つかるものではない。
 その道を使って、女たちは年に一度、陸に上がるのだ。誰もがというわけではない、一定の条件による。わかりやすく言えば、適齢期だ。
 対岸の本土では、いくつものむら々で、年に一度の祭りが催される。その多くは豊年を感謝し、農作物の収穫を待ってのタイミングなので時期が重なるが、実は邨同士で話し合われ、細かい日にちはずらして行われる。
 それと言うのも、琉球の毛遊びのように、若い男女の出会いの場という側面があるからだ。それによって人口の流入流出も活発になるが、一つの邨の総人口もそれぞれ少ないものだから、近親婚を忌避する役割にもなっている。
 島の女たちは、その祭りに紛れ込む。
 祭りでは、若い男女相手は問わず、相手を替えて一夜限りの性交に燃える。そこに紛れ込んで、種付けをするのだ。
 しかも島の女は、いずれも夜目にも蠱惑こわく的で、陸の女よりも男の目を引く。決まった相手がいても、或るいは一戦二戦終えていても、島の女に秋波しゅうはを送られれば、幻術にかけられたようにふらふらと誘いに乗り、見知らぬ女に挑んでいく。未知の女でも、どうせ隣邨なら素性も知らないのが普通なので、気にも留めない。しかも下世話な話、島の女たちはお道具がすこぶる良い。やれ蚯蚓みみずだ、数の子だという言葉はなかったが、要はそういうことで、一度蜘蛛の巣にかかった男は蟻地獄に落ちるがごとく溺れていくという。
 女のほうも宵のうちから男を誘いにかかる。一つには、やはり最初のほうが精液も濃いと言うのと、もう一つは数をこなそうというものだ。少しでも多くの精を吸い上げるほうが受胎する確率も高くなろうというものだ。邨の若者にしてみれば、祭りの後も邨の娘の誰かと縁が続いて、くっついたり離れたりできるだろうが、島の女たちにしてみれば一年のうちこの一夜だけが、子を授かる唯一の機会なのだ。
 そうして夜が明けると、正体が知られぬ前に、島に引き上げていく。その結果、女たちの何人かは身籠ることになる。
 女系家族という言葉があるが、なぜか生まれる子どもはほぼ女児だった。
 生まれたのが女児であれば島の子としてみんなで育てるが、男児なら陸に捨てに行く。闇夜に乗じて祠からできるだけ遠くの街道沿いに、あれば地蔵のうしろあたりがいい。地蔵は子どもの守り仏だからだ。陸の人間たちも寛容なもので、捨て子を見殺しにするようなことはしない。
 男児を産んだ島の女も決して薄情なわけではなく、折を見ては我が子の成長を確認しに陸にやってきたりはしていた。
 そうして、子どもたちが生まれた頃から二、三か月後、即ち一年後にはまた祭りの夜がやってくる。前回参加した女は子どもを産んだ産まないに関わらず一度見送る。陸の男におぼえられている可能性があるからだ。なにせ男にしてみれば忘我の時を過ごしたのだ。
(了)