公募/コンテスト/コンペ情報なら「Koubo」

第22回「小説でもどうぞ」選外佳作 裏盆踊り 味噌醤一郎

タグ
作文・エッセイ
小説でもどうぞ
結果発表
第22回結果発表
課 題

※応募数242編
選外佳作 
裏盆踊り 味噌醤一郎

 農大を卒業し、農業法人に雇われている俺は、他の社員の目を盗み、トウモロコシ畑から五本の穂を切り取った。そして、百メートル離れた別のトウモロコシの圃場ほじょうで穂の先を振り、風任せに花粉をふんだんに撒いたのだった。
 トウモロコシは、品種ごとに離して栽培しないと実が混交する。俺はトウモロコシの受粉で実の混交を企んだのだった。
「取り返しのつかないことをしてしまったな」
 俺は下を向いて呟いた。六月のことだった。
「広川! なにしてんだ! 見てたぞ! こらあ!」
 部長が怒ってる。そりゃそうだ、でも。
  *
 日は経って、八月十日。
「ということで、四十九番目のお祭り男は、某農業法人に勤めていらした広川弘さんでした。専門的なお話ありがとうございました。これもなかなか覆水盆に返らないお話でしたね」
 東京ドームに作られた舞台の上、俺は司会者に促され、ステージの端に居並ぶ浴衣姿の老若男女の列に戻った。総勢五十名。俺を含むこの五十名が今年のお祭り男お祭り女だ。隣の三十代くらいの眼鏡の男が俺に微笑みかけた。
「なかなかですね」
「いえいえ。あなたほどでは」
 この男は、先月まで証券会社で株のトレーダーをしていたらしい。売り値と株価を逆に入力し、会社に億単位の損失を与えたのだった。まったく覆水盆に返らない案件だ。
 俺のあと、五十番目に司会者に呼ばれたのは、まだ十代の雰囲気の漂う女の子だ。
「ファミレスのウェイトレスさんですよね。あなたは何を?」
 女の子は話し始めた。
「注文されたお料理を自分で食べて、空のお皿をお客様にサーブしました。『こちら、ご注文のチーズハンバーグセットでした』って」
「でした。過去形」
「食べてしまってもうお皿の上は空ですから。半日やってクビになりました。お腹も苦しい」
 すごい娘がいるもんだ。俺たちはこうして自分たちの経験を話していったのだった。他にも強者は沢山。
 お客のいる前で生け簀に落ちて辺りを洪水にした寿司屋の板前。雌雄でたらめに投げ分けたひよこの鑑別師。やっと取ってきた契約書をシュレッダーにかけた大手商事会社の社員。半額シールを店内の商品にでたらめに貼りまくったスーパー店員。配達に出るや否や古紙回収業者に全量配達した新聞販売所店員。かかってきた電話に津軽弁でまくしたてた苦情処理専門のオペレーター。船倉をぼらでいっぱいにして港に戻ってきた漁師。でかい音で屁をこき続けながら接客した旅行会社の女性窓口係。法事の最中、線香の代わりに打ち上げ花火に火を点け伽藍の屋根に巨大な穴を開けた僧侶。
 今日、八月十日は、日本最大の盆踊りフェス「裏盆踊り」だったのだ。
 数万の人々が、東京ドームの中心に建てられた巨大な櫓を中心に輪を作り「裏盆踊り」を踊る。その櫓に乗り、踊るために選ばれたのが俺たち、今年のお祭り男お祭り女だった。条件は、これまでの一年以内に仕事上の、決してやってはいけないミスを犯したこと。覆水盆に返らない案件を抱えていることだった。
「それではお祭り男お祭り女の皆様には櫓に移動してもらいましょう」
 俺たちは係の人に銀のお盆を一枚一枚渡され、櫓の階段を上った。このお盆は、「裏盆踊り」には欠かせないアイテムだった。周りの数万の浴衣姿の観客も、各々お盆を手に持って踊りが始まるのを待っている。
 俺がこの催しを知ったのは、今年の春、ちょうど毎日の仕事にくさくさしていたときだった。俺は人間だ。当然仕事はしなければならないが、歯車の一部ではない。システムを成立させるために人間はいるわけじゃないんだ。
 俺はこの労働環境に反逆したいと思った。そんな折に「裏盆踊り」を知った。
 主催は厚生労働省の部局である「労働攪乱局」。現代の労働に疲れ、無気力になっていく人間たちに危機感を覚えた政府は、あえて、仕事中に失敗を犯した人間をもてはやし、こうして賛美する祭りを催したのだった。
「それでは、裏盆踊りのスタートです」
 司会者の声を合図に、和太鼓が音頭を刻み、生バンドによる東京音頭が始まった。俺たちは、お盆を上下逆さに持って踊り始めた。これが「裏盆踊り」独特の動き。俺の前を踊る証券会社のトレーダーが振り向いた。
「広川さん。これが終わったらどちらへ?」
「俺は、インドを旅行しようと思ってます」
「いいですね、それ。僕は南アメリカです」
 俺たちの報酬は、約二か月半の海外旅行の旅費だった。
 ほとぼりが冷めたら日本に戻ってくる。
 人の噂も七十五日ですから。
(了)