第22回「小説でもどうぞ」選外佳作 幼なじみ 千波RYU
第22回結果発表
課 題
祭
※応募数242編
選外佳作
幼なじみ 千波RYU
幼なじみ 千波RYU
彼女と再会したのは、母親が入院している病院のトイレでだった。
「あれ、もしかして、吉岡さん?」
洗面台の鏡越しに久しぶりに旧姓で呼ばれた。鏡には見知らぬ中年女性が映っていた。
「覚えてないよねぇ、もう四十年近く前だもの。千波小の……」
あっ、思い出した。小学五、六年と同じクラスの、確か、石川さん。休み時間はいつも机に顔を伏せていた暗い感じの子――そのぐらいの印象しかなかった。
休憩所に場所を移し、互いの近況を手短に報告しあった。彼女はこの病院の事務員で、「バツイチ、子なし。父親と二人だけの寂しい生活よ」と自嘲気味に話した。
私は母を介護するために実家で暮らし始めたばかりだった。中高大一貫の私学に進み、卒業後は国内外を転々としていたから、幼なじみと呼べる地元の友人はほとんどいない。夫は早くに他界し、一人息子は海外赴任中なので、今の境遇は彼女と似ていた。
「当時のことはよく覚えてないの」と正直に言うと、彼女は「私はよく覚えているよ、吉岡さんのこと。勉強ができて学級委員で友達もたくさんいて。男子にも一番人気だったし……」と懐かしそうに話す。
「そんなことないって。今はもう見ての通り、ただのおばさん」そう言い返したけど、悪い気はしなかった。
あの頃の私は同級生の憧れの的だった。自分だけは死ぬまで幸せが続くと信じていた。でも人生の折り返し点を過ぎた頃、ようやく気付いた。人生は幸と不幸が半々なのだと。自分だけ例外のはずがなかった。
別れ際、「よかったら明日、お祭りに行かない?」と誘われ、「いいわね」とうっかり答えてしまったのは、無縁と思っていた幼なじみへの憧憬があったからかもしれない。
翌日は母の古い浴衣を着て、神社に向かった。週末とあって以前と変わらぬ人出でにぎわっていた。彼女は薄紫の朝顔柄の浴衣姿だった。ほの暗い参道の両側には昔ながらの夜店が並び、焼きそばやイカ焼きの香ばしい匂いが涼風に運ばれてくる。
「懐かしいなぁ、この匂い。昔は両親とよく来たのよ。綿アメにヨーヨーにチョコバナナ……」
祭りの雰囲気に酔ったのか、気分はいつになく高揚していた。
しばらく歩くと、彼女は金魚すくいのブルーの水槽の前で立ち止まり、「やったことある?」と私の顔をのぞき込んだ。黙って首を振る。金魚は昔から苦手だった。
薄紙をはったプラスチックの輪を受け取った彼女は、「はい、ポイ」と言って一つを差し出す。水槽の前にしゃがみ、ポイを水面に近づけると、すばやく橙色の金魚をすくい上げ、手元のお椀に落とした。
「すごーい、上手」と手をたたく私に、「あなたもやってみて。童心に帰れるから」と言って場所を譲ってくれた。私はそこにしゃがみ、彼女をまねてポイを水面に近づける。
――その時だった。
誰かに尻を蹴り上げられ、勢い余って金魚が泳ぐ水の中に顔から突っ込んだ。慌てて立ち上がろうとしたら、草履が濡れて滑り、尻から水槽に落ちた。派手な水しぶきとともに、金魚が路上に飛び散った。通行人の悲鳴と店主の怒声が交錯した。身をよじらせて水槽から這い出した私は、声も出せずにびしょ濡れで路上にへたり込んだ。
喉の奥から水を吐き出すと、金魚が一匹混じっていた。「金魚って食べられるの?」と不思議そうに尋ねる男の子に、無言で首を振る私。その姿がよほど滑稽だったのだろう。遠巻きに見ていた観衆から無遠慮な笑いが起こった。
目の前に立ちはだかる彼女をすがるような思いで見上げると、口元に笑みをたたえ、憐れむような目で私を見ている。
どうしてこんなことを? ……と声を荒らげようとした瞬間、深い海の底に沈めたはずのあの頃の記憶が次々によみがえった。
――そうだ。教師の目を盗み、彼女をいじめては泣かせ、笑いものにしていたのは、他でもない私だった。金魚鉢を抱える彼女にわざとぶつかったのも、教室の床にこぼれ落ちた金魚を拾う彼女を馬鹿にして笑ったのも、私……。
「まさか、こんなチャンスが巡ってくるとはね。どう、童心に帰れた?」
その顔が一瞬、サディスティックにゆがんだ。私は怖くなり、ごめんなさい、許して……と謝ろうと何度も試みたが、なぜか声にならない。
彼女はクスッと笑い、小刻みに震える私にタオルを放ると、両方の手を差し出しながら言った。
「これで、おあいこ。今日からあなたと私は幼なじみよ」
(了)