第22回「小説でもどうぞ」選外佳作 祭りの夜には おおさわゆうこ
第22回結果発表
課 題
祭
※応募数242編
選外佳作
祭りの夜には おおさわゆうこ
祭りの夜には おおさわゆうこ
女は男の踊りに惚れた。男の視線は女の白いうなじを捉えた。
「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々、踊らにゃ損々」
人々の熱狂の渦の中で、男と女は出会った。
若い二人にとって言葉は要らなかった。ただ踊り狂いながら、絡みつくような視線を交し合った。夏の夜は二人の上で
二十歳と十八の男と女は、それから間もなく小さなアパートで暮らし始めた。定職を持たない男の食い扶持を稼ぐのは
夏が近づくと男は浮足立った。空に紫色の雲がたなびき、湿り気を含んだ風が頬をくすぐると、待ってましたとばかり祭り囃子の音色のするほうへと駆け出して行くのだ。
一方、日々の生活に追われる女は、もはや踊りの連に加わることはなかった。か細く青白かった女の腕は、男勝りの日雇い工事で否応なくついてしまった筋肉で盛り上がり、赤銅色の輝きを放つようになっていた。
男はそんな女の財布からこっそりと金を抜き取っては、ふらりと出て行くようになっていた。
「あんた、あたしをなめるのもええ加減にしい」
夜の街で遊んで来たらしく、濃い香水の匂いをまき散らしながら泥酔して帰って来る男を今夜限りで見限ろうと、女は心に決めていたのだ。
「もう我慢の限界。あんたの顔なんか見たくもない」
今度ばかりは本気で出て行こうとする女の腕を男が掴んだ。
「頼む。これを見てくれ」
男は自分が作ったと言う竹細工を女の目の前に突き出した。阿波踊りを踊る一対の男女を形作ったものだ。
「お前と俺だ。悪かった。俺は明日から心を入れ替える。親父に頼み込んで一から竹細工職人を目指すから」
「そんでもって、俺はあとどのくらい生きられるって?」
病室の白い壁に掠れた男の声が跳ね返っていた。あれから四半世紀の時が流れ、男のもみひげにも白いものが混じるようになっていた。本格的な夏の到来を前に、末期の食道癌と診断されたばかりの男は、自分の手を見つめた。がむしゃらに竹細工を作り続けた手は、節くれだって何本もの青筋が浮かび上がっていた。
「踊り踊れんようなったらおしまいじゃ。みんな狂っちまえ。お前だってずっと踊りたかったんじゃろう。こんな辛気臭いところにおらんでええ。踊って来いや」
癌に声を奪われた男は、嵐のようにひゅうひゅうと鳴る声で吐き捨てるように言う。
「阿呆な男に引っかかった私が一番の阿呆や」
女は長い髪をばっさりと切り、胸に晒を巻いた。そして男の衣装を身につけると夕闇の街に繰り出して行った。
男の耳にどこからか祭り囃子が聴こえて来ていた。
「人生なんて終わりのない祭りだ」
虫の息でつぶやきながら男はこと切れた。
「えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、よいよいよいよい」
空高く舞い上がる祭り囃子と歓声に送られて男の魂は旅立って行った。
女は男の亡骸に祭りの衣装を着せてやった。
女は一昼夜ひとりで酒をあおっていたが、飲んでも飲んでも酔うことができないでいた。
ぐいぐいとコップ酒を飲み干すうちに、握りしめていた竹細工の人形が手からこぼれ落ちた。一対の男と女が、すり減った畳の上でもがくように踊り続けていた。
何かを思い立ったように女はうなだれていた顔を上げた。そして勢いよく喪服を脱ぎ捨てると、箪笥の引き出しから自分の衣装を取り出し、慣れた手つきでそれを身にまとい、既に若さを失った手に真っ白な手甲をつけた。
「私の祭りはこれからだ」
五十路を前にした女は鏡に向かって言い放った。薄っすらと笑みを浮かべながら唇にくっきりと紅を引く。菅笠を深く被り、きりりと顎の下で固く紐を結わえると、体の内側から忘れていた何かがむくむくとみなぎって来るのがわかった。
祭りの夜は、空の上で再び蜷局を巻き始めていた。
(了)