第23回「小説でもどうぞ」佳作 テラリウムの家 秋あきら
第23回結果発表
課 題
趣味
※応募数267編
テラリウムの家
秋あきら
秋あきら
妻の趣味はテラリウムだ。水槽やボトルなどガラスの容器に、コケやシダといった植物を植栽して、容器の中に自然の風景を再現して楽しむという遊びだ。
独身だった十年前、三十代半ばだった俺は職場の五年後輩の妻と仲良くなりたくて、仕事中、必死に彼女の趣味を聞き出した。そしてテラリウムという言葉を知った。気を引きたい一心で、俺は適当に話を合わせた。
「ああテラリウムね、あれはいい。癒される」
「えっ、もしかして宮島さんもテラリウムがご趣味なんですか?」
「ま、まあね。ほんのちょっとだけど」
そう言うと彼女の顔に笑みが広がった。
「実は、今まで近しい人に同じ趣味の人がいなくてつまらなかったんです。よかったら写真でもいいので、宮島さんの作品を見せてもらえませんか? 参考にしたいです」
「じゃあ、今度ね」
それがきっかけだった。
その夜、さっそく俺は、初心者用キットを購入した。やがて届いた箱の中には、蓋のついたガラス瓶と、ウッドチップに砂利、ソイルという名の土が入っていた。それから、三種類の苔。キットは、あっという間に完成した。霧吹きで湿らせた土や苔を、ピンセットを使って容器に詰めるだけなのだ。説明書など、読むまでもなかった。
出来上がったそれを、俺は、ためつすがめつ眺めた。そしてため息が出た。
面白い。いいじゃないか、これ。小瓶の中の、凝縮された世界。それを自分が作った、というところに感動を覚える。俺はすっかりテラリウムにハマった。
調べてみると、一口にテラリウムといっても、中に入れるモノ次第で名前が変わるらしいと分かった。苔を入れるなら苔リウム、キノコならキノコリウムといった具合だ。使用する容器も、小さなガラス瓶から一メートル以上ある大型水槽まで様々あり、水槽の中に滝や川を作って、メダカやイモリなど生物を飼育するアクアリウムという大掛かりなものまであるらしい。しかし俺は、オーソドックスな苔リウムを好んだ。
「テラリウムっていろいろあるけど、湿度を一定に保つテラリウムの環境下では、苔が最適だね。使う石は黒系がいい。苔の緑が映えるし、あとは流木なんかを使うのも好みなんだ」
「私もです! 流木の質感っていいですよね」
俺たちは、すっかり意気投合していた。
「休日は、良い素材を探しに山や川に出かけたりしているんだ。やはり実物を使用しないと。時を経た感じが、キットなんかとはまるで違う」
「ほんと、同感です。実は私、今手掛けている作品で流木をどう使ったらいいか悩んでいるんです。一度うちに見に来てもらえませんか? アドバイスしてください」
「もちろんだよ」
お互いの部屋を行き来するようになるのに、さほど時はかからなかった。それから数年の付き合いを経て、俺たちは結婚した。
休日は、二人してテラリウムに没頭した。愛好家やメーカーのイベントに参加したり、材料の調達にあちこちの川や山にも出かけた。
しかし、いつまでも小さな苔リウムに固執する俺と違って、妻はどんどん大きな作品を手掛けるようになった。種類も様々で、熱帯魚を入れたアクアリウムの水槽もいくつもある。子どもはできなかったが、作品だけはどんどん増えた。
「ねえ、思い切って戸建てを買いましょうよ」
ある時、妻に促されて、俺たちは郊外に小さいながらも一軒家を構えた。
「南向きの部屋には、大きなガラスサッシを入れましょうよ。二重ガラスにしてね。光を充分に取り入れられるように」
内装も外装も、優先するのはテラリウムだった。水槽の配置を考えて水回りや配線を整えた。温度管理しやすいように、オール電化で全館空調の最新モデルを取り入れた。
「思ったより、高くついたね」
「仕方ないわよ、あのコたちのためだもの」
妻はテラリウムの世話に忙しく、俺の稼ぎ一本で高額のローンは厳しかったが、妻の笑顔を見ていたら、まあいいかと思えた。
その妻は、最近パルダリウムに凝り始めている。熱帯雨林を再現したテラリウムのことで、熱帯性の植物だけでなく両生類や爬虫類などの生き物も飼っている。
「ただいま」
俺がいつも通り会社から帰って来ると、妻はいそいそと玄関にやって来る。
「食事はできてるわよ。食べたら、お風呂に入ってね」
それだけ言うと、妻は水槽の掃除を始めた。キッチンのテーブルでその様子を見ながら、俺はふと考える。
もしかして俺は、この家で妻に飼育されているんじゃないだろうか、と。
(了)