第24回「小説でもどうぞ」選外佳作 あぎれだほんずなす 川瀬えいみ
第24回結果発表
課 題
偶然
※応募数266編
選外佳作
あぎれだほんずなす 川瀬えいみ
あぎれだほんずなす 川瀬えいみ
不肖の息子が、「紹介したい人がいる」と言ってきた。初めてのことだ。
日本有数のディベロッパー三ツ森不動産の凡庸な跡取り息子。その
そんな息子が二十四歳になって初めて、「心から信じられる女性に会えた」と言ってきたんだ。相手はまだ十九歳の学生だという。
二人の出会いは去年の四月末。息子に買い与えたマンションの前にある公園のベンチ。
住み慣れた故郷を離れて始めた一人暮らしの部屋が寂しくて帰りたくない。学校では友人もできない。偶然、同じベンチに座った息子に、彼女は頼りなげな様子で語ったという。
「こういうの、私の田舎では、『あぎれだほんずなす』と言うんです。ほんと、私ったら、あぎれだほんずなす」
「あぎれだほんず……え?」
「あぎれだほんずなす、です。『あぎれだ』は、『呆れるほど』という意味で、『ほんずなす』は『本地なし』の訛り。『本地』というのは仏様本体の姿のことで、『本地なし』は本性がないとか正気がないとか――つまり、おばかさんのこと」
彼女は、用いる言葉ではなくイントネーションが東京のそれと違っていた。
「訛りが出ないように気をつけていると、どうしてもゆっくりした喋りになってしまうんです。クラスの人たちはみんな頭が良くて早口で、私が愚図ののろまに見えるみたい」
恥じ入るように顔を伏せて、彼女はそう言った。おそらく、二度と会うことのない行きずりの人間だと思うから、彼女は初対面の若い男にそんな打ち明け話ができたのだろう。息子はそう考え、彼女に大いに同情した。
「僕が会話の練習相手になりましょうか?」
墨で染めたように漆黒の長い髪。目をみはるほどの美人ではないが、品のある顔立ち。確実に財産目当てではない純朴な女性と知り合えたことに浮かれて、息子は提案したらしい。冷たい都会人に怯えていた彼女は、瞳を潤ませて、息子の親切を喜んだのだという。それから一年半の時を費やして、二人は親密度を増していった。息子は、彼女に、自分の父は三ツ森不動産に勤めているとしか言っていないとのことだった。
三ツ森の跡取りの伴侶が財産目当ての浪費家では困るが、純朴なだけのお人好しは、それ以上に歓迎できない。息子は本気で彼女との結婚を考えているらしい。私は息子の恋人の身上調査を行った。
斗南容子。十九歳。生家は、青森県南部の過疎の町で、その町唯一のスーパーを営んでいる。年間売上は二億弱。地方の小金持ちの娘といったところだ。傾く一方の家業を立て直すために経営を学ぶべく東大文科二類に進学した、真面目で健気な孝行娘。
総資産二兆を超える三ツ森不動産と資本金一千万の地方の潰れかけたスーパーでは比較にもならないが、個人の能力という点では、私の息子は彼女の足元にも及ばない。会ってみる価値はあるだろう。私は、不意打ちの面接を計画し、息子のマンションの駐車場でデート帰りの二人を待ち伏せた。
「僕は、あの日の偶然に感謝してるんだ。僕たちが出会えたのは運命だったと思う。僕の両親もきっと君を気に入るよ」
「でも、私みたいな田舎者が、東京の大企業にお勤めのお父様にどう思われるか……」
純朴な田舎のお嬢様は、駅から徒歩三分の分譲マンションと、そこから更に徒歩十分の賃貸マンションの価値の違いをわかっているらしい。彼女は『ほんずなす』ではない。
「君だって社長令嬢だろう。大丈夫さあ」
能天気に笑った息子がマンションのエントランスゲートを通るのを確かめてから、彼女はまるでワルツを踊るように軽い足取りで、くるりと踵をかえした。途端に、歌舞伎の早変わりのように、その表情が一変する。
すべてを承知したハンターの目。口元は自らの勝利を確信してほころんでいる。
「あれが偶然なわげねえべ。三ツ森不動産の御曹司様は、あぎれだほんずなすだ」
彼女の声音は半ば歌声だった。そんな彼女の前に、車を降りた私が立ちはだかる。
三ツ森不動産の代表取締役社長の顔は知っていたらしい。彼女は瞬時に、上機嫌だった顔を凍りつかせた。なるほど、これが彼女の本地か。この賢女になら安心して愚息を任せられる。そう考えて、私は彼女に微笑した。
(了)