第30回「小説でもどうぞ」選外佳作 トリックとは 木村楓
第30回結果発表
課 題
トリック
※応募数237編
選外佳作
トリックとは 木村楓
トリックとは 木村楓
透子が文芸部室の引き戸を開くと、そこにはまだ誰もいなかった。金魚を飼っている水槽のポンプの音だけが響いている。いつもなら部長が先に来ていて彼女を迎えるので、来るのが遅くなるなら連絡ぐらいしてくれてもいいのに……、と思いながら後ろ手に戸を閉めた。
長机の自分の定位置に鞄を置く。するとその瞬間、背後からガチャリと音がした。振り返ると、戸のスライドロックが上がっている。施錠されたのだ。
外から閉めるには鍵が必要なはずなのに何故、と訝しがりながら近づくと「おうい、透子くん開けてくれー」と向こう側から声がした。
その声の持ち主にピンときてスライドロックを下げると、勢いよく戸が開かれる。そこには満面の笑みの部長が立っていた。
「ありがとう透子くん! どうだい、ちゃんと密室になっていただろう?」
「またトリックの再現ですか? 密室というか、部長の締め出しでしたけど」
透子は呆れながら答えた。
「あはは、確かに。さて、どのような仕組みかわかるかな」
推理小説好きの部長が物語の仕掛けを実際にやってみたがるのはいつものことで、その謎解きを後輩にさせたがるのもいつものことだった。なので期待に目を輝かせている部長に反し、透子はやや投げやりにそれに答える。
「あらかじめスライドロックに紐を掛けておいて戸を閉めた後引っ張りあげたんでしょう。密室トリックの初歩の初歩ですね」
「その通り! この仕組みを使った小説は多くあってね。えーと、例えばこの辺りに一冊……」
部長は現物を見せながら解説をしたいのか本棚の陰に入っていこうとしたが、透子はそれを手で制した。
「そのくらい知っています。あなたが読んだ本は私も読んでいますので」
きつい言い方にも聞こえるが、それを聞いて戻ってきた部長は口もとが緩んで楽しそうな表情をしていた。たった一人の部活の後輩が自分と同じ推理小説好きなようであるのが嬉しくて堪らないらしい。
「さすが我が部の期待の星だ! じゃあこれはどうかな。僕が考えたトリックなのだけどそれを使って今日のお茶菓子を隠していてね……」
「お菓子は水槽の中。仕組みは鏡を使った鏡像トリック」
「どうしてわかったんだい!」
部室の中を見渡すこともせず即座に答えた透子に、部長は目を見開いて驚いた。
「わかりやすいんですよ。ずっと水槽の方を気にしていましたし。それに普段はそんなことしないのに、袖に
「ははあ、そうか! 透子くんはすごいな」
そう言うと部長はおもむろに右腕のシャツを肘まで捲り上げ、躊躇なく水槽の水に手を突っ込んだかと思うと、鏡の裏から防水のジッパー付き袋を引き上げた。左手に持ったハンカチで丁寧に袋と右腕の水分を拭き取る。そして備品棚から紙皿を二枚取り出すと袋の口を開け、長机の上、透子と自分それぞれの前にクッキーをサーブした。
「召し上がれ。今日のお茶菓子は家庭科部の森山さんからもらったクッキーだよ」
「……先輩の隣席の森山実花さんからですか」
透子は自分の前に置かれたクッキーをじっと見たまま手をつけない。
「こんなにすぐ見破られるとはなあ。自作の推理小説に使えるものがないかいろいろ考えてみてはいるのだけれど、まだまだみたいだね」
「というか、トリックって手段でしょう。手段から話を考えるって本末転倒に思えるんですが」
「いやそんなことはないよ! エドガー・アラン・ポーに始まり本格推理と呼ばれるトリックに主軸を置いた素晴らしい作品は
「だとしても、最も重要な登場人物である犯人の人格が
「透子くんはホワイダニット派か! 松本清張だな! いいね。好きだ」
自分と異なる意見を持っていようと推理小説の話ができるのが楽しくて仕方ないらしく、部長は笑って透子の趣味を褒めた。そしてまた「ホワイダニットの名作はあの辺りに……」などと言って本棚の陰に入っていってしまった。
「それにしても犯人に寄り添って理解すれば自ずと解けるもの、か。トリックとはまるで犯人から探偵役に送ったラブレターのようだね」
透子はその言葉に一瞬驚いたように動きを止めたが、その後、にこりと笑って答えた。
「なるほど。面白い解釈ですね」
「だろう! ……ん? あっ、えっ」
部長は何かを探すように周りを見渡した。
「……時に透子くん」
「何でしょう先輩」
「ここにあった僕の分のクッキーが無いのだが、何か知らないかい」
「さて。私に寄り添って理解してみれば自ずとわかるのでは?」
(了)