第11回W選考委員版「小説でもどうぞ」佳作 最中婚 西森有
第11回結果発表
課 題
善意
※応募数253編
西森有
「ただいま……」
二か月ぶりに訪れた実家の玄関のたたきに、品の良さそうな靴が二足、ぴたりと並んでいる。ベージュのパンプスと、男性用の黒い革靴。やられた、と思った。
最近体の調子が悪いのよねぇ、更年期かしら。
お盆に帰ったばかりだというのに、母からしきりに連絡がくるから変だと思った。心配した私がばかだったんだ。よそ行き用の服で現れた母が、手土産だけ置いて帰ろうとする私の腕を掴んだ。
「あんたのためでしょうが。なかなか素敵な方なのよ。会うだけ会ってみて。ね」
タジマさぁん、真理、来ましたぁ。
母が先手必勝と言わんばかりに応接間に向かって声をあげる。退路を断たれた私は母に引きずられるまま、応接間の襖を開けてすぐの座布団に押し込まれた。
「娘の真理ですぅ」
二オクターブくらい高い声で私を紹介する母の声。綺麗に磨かれた応接間のテーブル、カバーを新調された座布団。客用の湯呑に高級そうな茶菓子。まさに計画的犯行だった。
「真理ちゃん、久しぶりねぇ」
仏頂面を隠そうともしない私に、タジマとやらの隣に座る母の共犯者、妙子おばさんがにこやかに声をかける。
「こちら、タジマリョウジさん」
紹介されたタジマリョウジが、私に向かって「どうも」と頭を下げたのがわかる。私はタジマリョウジのお茶に向かって「どうも」と頭を下げた。
「タジマくん婚活中らしいの。それなら真理ちゃんちょうどいいじゃないって、ピンときたのよね」
「あらぁ、タジマさんはどうして婚活してらっしゃるの?」
「誰もいない部屋に帰るのが寂しくて、ですかね」
私だっていつも、誰もいない部屋に帰っている。友だちと会って楽しんだ帰りや、人数合わせに付き合わされた合コンで底に残る氷水をすすって過ごした帰りや、一人分の缶ビールとつまみを買った帰り。ふと、このまま私は誰も求めず誰にも求められずに、いつまでもたった一人で自分のためだけに生きていかなければならないのかと途方に暮れるときがある。タジマリョウジの気持ちが少しわかる気がして、彼が「ただいま」と帰ってくるところを想像してみた。
ない。絶対にナシ。全然タイプじゃない。私はこんなずんぐりむっくりした田舎の熊みたいな人じゃなくて、線の細い知的な人が好みだ。三十六歳、冴えない事務員のくせにえり好みするなんて、という自虐的な考えと一緒にこみ上げるため息を、バレないように少しずつ鼻から逃がしていく。
タジマくんは私が通ってる整骨院にお勤めの三十九歳で、二つ年上のお兄さんがいらして──柔道をやってただけあって男らしくていいわよねぇ。ほら、この通り温厚で人も良くて、こぉんな良い方周りも放っとかないでしょうに。お料理もできるの? 炒飯、じゅうぶんじゅうぶん。立派よぉ。うちの夫なんか、からっきし。箸一本、靴下一足どこにあるか知らないんだから。あらぁうちだって似たようなもんよぉ。今日だって娘の見合いだっていうのに、そういうのは女の仕事だなんて言って。
当人たちをよそに、母と妙子おばさんは互いの夫の愚痴で盛り上がっている。見合いの場で話すことじゃないだろうに。案外あんたのため、なんて言いつつただの暇つぶしくらいの感覚だったのかもしれない。
一気にばかばかしくなって、私は目の前の最中の包装紙を乱暴にはいで、ちょっと大きいそれを一口で口におさめた。噛んだら最中の香ばしさの中から、粒あんの
私がお茶を置くのを待っていたかのように、今度はタジマリョウジが最中を手に取った。太い指で包装紙を丁寧にはいで、口に放り込む。私と同じように。口がもごもご動いたと思ったら鼻の穴ががばっと広がり、そしてすぐ盛大に咳き込み始めた。妙子おばさんに背中をさすられながら、涙目でお茶を口に含んでいる。ださい。ださすぎる。
でも、これがこの人なりの思いやりかもしれなかった。そう思うと同時に「ただいま」と帰ってくるタジマリョウジが頭に浮かんだ。
案外なくもないかもしれない、と思う自分が
(了)