第11回W選考委員版「小説でもどうぞ」選外佳作 ご近所付き合いは善意で ナラネコ
第11回結果発表
課 題
善意
※応募数253編
選外佳作
ご近所付き合いは善意で ナラネコ
ご近所付き合いは善意で ナラネコ
しばらく空き家となっていた隣の家に、三十代前半のご夫婦が引っ越してきた。築二十年の中古物件とはいえ、住宅地にあり、駅からも近い。このタイミングで家を購入したのはいい決断だろう。
女一人暮らしの私の家に、ご夫婦そろって挨拶に来られたのが一昨日だ。
「こんにちは。隣に越してきました松島です。これからお世話になります」
ご主人はよく日焼けしたスポーツマンタイプで、奥さんは小柄でおとなしそうな感じ。常識的なご夫婦で安心した。ご近所付き合いは、善意をもって接することが大切だ。
今日は木曜日でゴミ出しの日だ。家の前にゴミ袋を置くと、収集車が来て持っていってくれる。うちの市は分別にはかなりうるさいので、慣れるまでよくミスをする。
松島さんのゴミを確認。ちゃんと指定のゴミ袋を使っている。これは合格。袋の中身を見る。おっと、これはだめだ。洗剤のボトルが外に見えている。これじゃ、持って行ってくれずに放置されてしまう。引っ越し早々そんなことがあったら、気分が悪いだろう。
洗剤のボトルを取り出そうとゴミ袋を開けていたら、背後から奥さんの声が聞こえた。
「室井さん! 何してるんですか」
「うちの市はゴミの分別がうるさいのよ。今日は燃えるゴミでしょ。プラ容器が見えてたら持って行ってくれないの。だから……」
「わ、分かりました。後は自分でやります。どうもありがとうございました」
奥さんは私からごみ袋を奪い取ると、礼を言ってくれた。感動のためか、声が震えている。私の善意が通じたのだろう。
その日の夜のことだった。松島さんの家は、家の玄関から出て右側に、小さな芝生の庭があるのだが、洗濯物がまだ干してあった。奥さんの下着も交じっている。おとなしそうな奥さんだが、かわいらしい下着だ。ご主人と仲がいいのだろう。微笑ましくなる。
でも、これはだめだ。このあたり、夜は時々不審者がうろつく。せっかく引っ越してきたのに、いきなり嫌な目に遭うのは気の毒だ。
柵を乗り越えて庭に入り、奥さんの下着を物干し竿から外そうとしていたら、窓を開けて奥さんが叫ぶ声が聞こえた。
「室井さん! 何してるんですか」
「このあたり、時々不審者が出るのよ。夏の夜でしょ。女物の下着を見えるところに干していたら持っていかれちゃう。だから……」
「わ、分かりました。中にとり込みます。ありがとうございました」
奥さんはまた礼を言ってくれた。私の善意が通じたのだろう。顔を見ると、感動のあまり涙ぐんでいる。
それからひと月ほど過ぎた。松島さんご夫婦は、平日仕事に出ているので、外のお掃除が手薄になる。休みの日くらいのんびり過ごしたいものだ。そう思ってほうきで玄関周りを掃き、ついでに庭の芝生の上もきれいにした。家が美しくなっているのは気持ちがいいだろう。奥さんの笑顔が目に浮かぶ。
そんなある日のことだった。いつものように松島さんの家の玄関周りを掃いていると、扉が開き、ご主人が顔を出した。
「ああご主人、お仕事は?」
「今日はお休みを取って家にいます。最近、玄関周りや庭がきれいになっていると思っていたのですが、やっぱり室井さんでしたか」
ご主人は少しためらっていたが、
「ちょっとお入りになりませんか?」
私に声をかけてきた。家の中に案内され、向かい合ってリビングのソファに座る。
「あの、うちの家内が室井さんにはいつもお世話になっていると話しています」
「ああ、そう言っていただくと嬉しいです」
「ただ、あまりご面倒をおかけするのも恐縮で、かえって心苦しいと言うもので」
「はい?」
「もう、うちの家の世話はやめていただくようお願いしたいのです」
思いがけない言葉にショックを受け、私は泣いてしまった。涙がぽろぽろこぼれ落ちる。
「そんな、室井さんのような若い女性に泣かれては困ります。室井さんが善意でしていらっしゃることは、よく分かっています」
優しい言葉をかけられて、私は思わず松島さんのご主人にすがりついてしまった。
そうこうしているうちに、玄関の扉が開く音がして、奥さんが入ってきた。
「あなた、話はちゃんとしてくれた。私、気になって、お仕事、早引きして帰ってきたの」
奥さんの目には、私がご主人とソファの上で抱き合っているように見えただろう。
「室井さん! 何してるんですか。それにあなたもいったい」
奥さんの金切り声が響き渡った。
隣の家はまた空き家となった。次に引っ越してくる人にはもっと善意で接しなくては。
(了)