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第11回W選考委員版「小説でもどうぞ」選外佳作 善意の椅子 藤原達昭

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作文・エッセイ
小説でもどうぞ
結果発表
第11回結果発表
課 題

善意

※応募数253編
選外佳作
 善意の椅子 藤原達昭

 疎開通りを北に少し上った東側、マダムセイコという美容室の前に“善意の椅子”はある。前と言ってもそれはマダムセイコの持ち物ではなく、目の前にある金時町二丁目というバス停に無造作に置かれているものである。
 “善意の椅子“は折り畳み式のスチール製のパイプ椅子で、橙色をした塩化ビニルのクッションが座面と背もたれについている。その背もたれの部分に、ラミネートされたA4用紙が貼り付けられており、ゴシック体で”善意の椅子”とプリントされているのだ。ラミネートは全体的にやや黒ずんでおり、端から雨水に侵食されたような染みが全体に広がろうとしていることから、なんとなく長い時間そこにある、ということだけは推測できた。
 “善意の椅子” は私が島根の女子大を卒業して、大阪で仕事を始めた今年の四月の時点で既にそこにあった。
 私は毎朝必ず八時十三分発のバスに乗るため、必然的に毎日その椅子は目にしていた。初めは近所に住む誰かが純粋な善意の下、その椅子を設置したのだろう、なかなか人情のある街なんだなあ、と今考えると呑気に構えており、白状するとそのときは確かに小さな感動を覚えていた。
 しかし、仕事にも慣れてきた七月ごろからこの椅子の主張する“善意”とは何なのか、を考えるようになった。
 私は善意の椅子を設置した人物をAとして、例えばAが百%の良心で設置したこの椅子に潜在的な欠陥があり、年寄りが椅子に座った瞬間に崩壊し、腰や足の骨を折ったとすると、この椅子は途端に“悪意の椅子”に転じる。これは大変なことである。
 Aが椅子に込めた純粋な善意というものは、公共の場に放置された瞬間から悪意を内包する物体に変質しており、私はAの想像力のなさに内心苛立ちを感じた。
 ただ、よく考えると公共に存在するほとんどのものは今私が考えたような性質を有しており、たまに間違いは起こるものの、なるべくその性質が露呈しないよう努力をされているものなのだなあと、同時に感心もしたのであった。

 この椅子について思考を巡らせるのは通勤時間の憂さ晴らしにちょうどよかった。まあ私の推察については、行政上「放置物」の一言で片付けられるもので、既に定義されたものについて蛇足に考えていただけである。

 季節も変わり、肌寒い十一月になった頃も変わらず“善意の椅子”はそこにあった。私からすると欠陥に満ちた存在のその椅子はなかなか受け入れ難いものであったが、意外と利用者は多かった。老人から子供まで、皆疑いもなくただただその善意を受け取っており、その光景を横目で見るたびに「あのぉ、その善意、間違ってますよ」と声をかけようか悩んだのだが、客観的に見るとかなり気持ちの悪い行為であることは明白だったので、空想するだけで留めておいた。かく言う私も実は二、三度それとなく“善意の椅子”に座ったことがあり、座るとまあなんでもないただの便利な椅子なのであるから、困ったものである。
 私がAに出会ったのもその頃である。
「お姉ちゃんその椅子、よかったら座ってや」
 いつも通り、朝のバス停で並んでいると人の良さそうな老婆に話しかけられた。バス停のベンチは埋まっており“善意の椅子”だけが空席という状況であった。
「え?」
「ここのバス停、朝はえらい混むやろ。この辺年寄り多いから、ほんまはあかんけど、みんなのためやとおもて置いてん。せやから遠慮なく座ってや」
「あ、そうなんですね。では、お言葉に甘えて」
 私は急なAの襲来におののき、言われるがままに“善意の椅子”に腰掛けた。
 まあ私はなんとつまらないことを考えていたのであろう。こんな椅子程度で誰かが怪我をする可能性は低いし、放置物かどうかは行政が判断することである。Aの純粋な善意は疑いようもないものである。それを踏みにじるような精神は世の中をつまらなくさせるのではないだろうか。私は高慢であったと反省し、その出来事以降、椅子について考えるのをやめた。

 数週間後、私は武井という会社の先輩に誘われ、初めてプロレス観戦に出かけた。鍛え上げられた男や女たちの肉体が激しく衝突し、汗が飛沫となって飛散する光景はなかなか見応えのあるものであった。武井の興奮ぶりも相当なものである。
 試合も佳境に入り、第五試合「拳獣王 対 菊島悟」のシングルマッチ、二十分一本勝負。青コーナーの拳獣王はなかなかのヒールらしく、菊島に反則技を繰り出してはブーイングを受けていた。
 十分が経過した頃、両者はリングアウトしており、「場外乱闘は危険です!」とアナウンスが響く。観客が避難する中、菊島は強烈な打撃を受け、床に倒れていた。拳獣王はリング下から凶器らしきものを取り出し、ゆっくりと観客に見えるようにモノを掲げて唸り声を上げていている。
 拳獣王が手にしている凶器を視認できた私は驚愕した。なんとあの“善意の椅子”であった。同じものとは断的できないが、形状や特徴は同じものである。いつからかなくなっていたのだ。気づかないとはぼんやり生きてるなあ。などと考えた瞬間。拳獣王はニヤリと笑い床から立ちあがろうとした菊島を“善意の椅子”で殴打した。何度も何度も何度も。会場の盛り上がりはピークに達し、武井は横で「菊島!」と叫んでいる。“善意の椅子”が幾度もの衝撃でぐにゃりと歪んでいくのを見て、私は今までの人生で覚えたことのない興奮を感じていた。
(了)