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第11回W選考委員版「小説でもどうぞ」選外佳作  あくまでも善意の人 がみの

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作文・エッセイ
小説でもどうぞ
結果発表
第11回結果発表
課 題

善意

※応募数253編
選外佳作
 あくまでも善意の人 がみの

 大谷夫妻が購入した中古マンションの右隣には、藪中という中年の夫婦が住んでいた。
「うちは男の子と女の子がいるんだけど、二人とも就職して別の県で暮らしているの。だから、今は夫と二人だけ」
 藪中夫人は気さくな雰囲気で、廊下やエレベーターなどで会うと、家族の内情なども話すほど。さらには、同じ階や管理組合の役員などの噂話なども披瀝ひれきする。
 自分のことも詳細に話すと噂話で広められるかもしれない、大谷尚美はそう思って委縮する。もともとが引っ込み思案なたちなので、井戸端会議などは苦手だ。
「大谷さんの部屋の前の人もやっぱり若い人たちだったんだけど、このマンションには合わなかったみたいね」
 藪中夫人はそんなことを言う。不動産会社の人だけとやりとりしたものだから、尚美は前の住人とは顔を合わせたことがなかった。

 互いの部屋に入ろうとしたとき、藪中夫人がそう言って自分の部屋に入ると、しばらくしてタッパーを持って出てきた。
「昨日作った肉じゃがなの。ちょっと作りすぎたので、迷惑でなかったらもらってくれる」
 笑顔で差し出す藪中夫人に、尚美は礼を言って受け取った。いい人だと思ったが、他人が作った料理を食べるのには抵抗があった。それも前日のものだと言うし。だが、夫の泰斗は気にせずに食べた。
「これ、うまいよ」
 泰斗はそう言って全部食べる勢いだったので、尚美もちょっとだけ味見してみた。確かにおいしかった。味付けが絶妙だった。主婦歴の差かなと、劣等感を感じたほど。
 翌日、尚美はタッパーをキレイに洗ってお隣へ返しに行った。愛想良く出てきた藪中夫人にお礼を言ってタッパーを手渡すと、いぶかしげな顔をして尚美の顔を見つめた。夫人はそのまま、何も言わずに部屋の中に戻った。その後、廊下で会っても藪中夫人は以前のように愛想良く話しかけたりしなくなった。それどころか、尚美の挨拶を無視したりした。
 尚美は自分が何か気に障ることでもしたのか、不安になった。肉じゃががおいしかったと褒めたが、その褒め方に問題でもあったのか。
 しばらくして、尚美は同じ階の山岡という老婦人と廊下で会った際、手招きされた。
「あんた、藪中さんから肉じゃがもらって、タッパーを洗って返したんだって」
「はい」
 タッパーを洗って返すのは当たり前ではないか、尚美はそう思った。
「いいかい、ここでは食べ物をもらったら、そのタッパーにお返しの食べ物を入れるんだよ」
 尚美は驚いた。と同時に、そういう近所づきあいの習慣があってもおかしくないと思った。
 翌日、尚美はデパ地下で総菜をいくつか買ってきて、それをタッパーに詰め直した。それをお隣の藪中夫人のところに持っていった。
「この前は何も入れずに申し訳ありませんでした。常識を知らなくて、いろいろ教えていただけたら助かります」
 夫人はニコッと笑った。
「ありがとう。わかってくれて嬉しいわ」
 しかし、受け取ったタッパーの中身を見て表情を曇らせる。
「あなた、これ自分で作ったの」
 尚美は、はっとする。手作りでなければ駄目なのか。
「そうよ、わかったと思うけど、心をこめて作ったものでないと本当のお付き合いにはならないわよ」
 それから尚美は自分でできる最良のものを作って藪中夫人に渡した。すると、そのタッパーにまたお返しが入ってきた。その料理は尚美の作ったものよりはるかにおいしかった。
 尚美は料理本を買ってきて努力した。自動調理器も新たに購入してレシピ通りのものを作る。しかし、藪中夫人にはすべて丸わかりのようだ。
「パターン化した味ね」
 そう言ってさげすむような目で見る。
 尚美は料理教室にも通い、必死に料理の腕をあげようとしたが、なかなか向上せず、ついには疲弊して鬱になってしまった。

「ええー、また売りに出たの」
 不動産屋の谷村は大声をあげる。
「まあ、売買手数料がもらえるからいいんだけどさ。これで何度目だっけ、あの部屋」
 部下の大井がこたえる。
「三度目ですかね。今度は事前にお隣さんの情報を伝えた方が良くないですか。あの人は、あくまでも善意の人ですからね。そういう密な近所づきあいが好ましいと思う人もいるでしょうし」
(了)