第42回「小説でもどうぞ」佳作 文通 十六沢藤


第42回結果発表
課 題
手紙
※応募数385編

手紙を書くのが、嫌いだ。
心にもないことをつらつらと書き連ね、それらしい装飾を施して
手紙は、呪いに似ている。
形に、文字にしてしまえば、たわいのない一言が凶器になり得る。言葉として発していれば空気に溶けて終わりだったかもしれないものが、質量を得て変異するのだ。
それは、紙の上に残り続ける。失われる機会を与えられなければ、半ば永遠に。
文字は、恐ろしい。
日常生活の中で、ふと気に留まったこと、思考の中で渦巻くことを、文字に変えてみる。すると、どうだろう。認識の中では些細なことであったはずのものでさえ、見事に異質な事変へと変貌を遂げるのだ。それを読み返してはっとする。自分が相対していたものは、こんなにも異様なものだったのだと、必要のない再認識をさせられてしまう。
捨ててしまえばいい。手放してしまえばいい。
何度も、そう思ってきた。
カタリと、玄関の方から音がする。
重さに前のめりになりそうな気分を抑え、緩慢な動作で音が聞こえた方へ向かう。音の
郵便受けに手を伸ばし、中に押し込められた紙の束を引き出す。
今日もまた届いていた。
数枚のダイレクトメールと、請求書と広告のチラシ。そして、一枚の封筒。今回は薄い緑色をしていた。
封を開け、中身を取り出す。
『昨日は寒かったですね。毛布を一枚足しました。スープを晩ご飯にして、朝は雑炊にします。体調は良くしてください。また明日』
普段と変わらぬ日常の報告にほっと息をつく。また妙なことを言いだされてはたまらなかった。
机に戻り、引き出しの中から水色の封筒を出してペンを握る。当たり障りのないこちらの日常を書き記し、封をして玄関に向かった。このまま近くにあるポストにこの手紙を投函してしまえば今日の分は終わりだ。
コトンという音がポストの奥で聞こえたのを確認すると、ほっと肩の荷が下りたような心持ちがする。自分から始めたこととはいえ、毎日続くこれが近頃は負担だった。
数年前、ふらりと立ち寄った古本屋で一冊の本を見つけた。何の気なしに手に取り、パラパラとめくっていると、あるページの余白に書き込みがあった。
『お手紙お待ちします。内容問わず、お話できる方募集』
そう書かれた下に住所と名前が記されている。暫く迷い、好奇心に負けてその本を購入した。本自体は大衆小説であるらしかったが、何にせよ随分と古い年代のものに見える。日焼けした背表紙は辛うじて文字が読み取れる程度で、どこもかしこも茶色く変色していた。
これを書いた人間は、とうの昔にいなくなっているだろう。
そんな思いもあったが、ものは試しで家にあった便箋に最近あったことなどを綴って手紙を出した。大方、宛て先不明か何かで戻ってくると思ったのだ。
だが、手紙は一週間経っても戻ってこなかった。おかしいと思い始めた頃、郵便受けに見慣れない封筒が届けられた。送り主は件の書き込みの通りで、驚きと共に背筋に冷たいものが流れる。
返事が来るとは思っていなかった。
その時から、毎日のように手紙が来るようになった。書かれているのは日常的な出来事ばかりで、気が向けば返事を返す程度だった。その頃はまだ手紙は好きな部類ではあったが、毎日となるとさすがに嫌になり、そろそろ終わりにしたいという旨をオブラートに包んで伝えたところ、数日間手紙が来ない日が続いた。
やれやれと思っていた矢先、また手紙が届けられた。ただ、その時は内容が何とも異様だったのだ。
『何かご無礼があったかとお詫びに参りましたが、山々しかなく、ご住所に辿り着けず、お詫び状よりなす術なく』
この後も何通も手紙が届き、相手がこちらに来ようとしても辿り着けない状態だということが切々と語られていた。
あまりにも必死なので、気にしていない、良ければまた手紙のやり取りをしてはどうかと送ったところ、想像以上に喜ばれてしまい、数年に渡る文通が始まってしまった。
時々、思う。
この手紙が届いている先はいったいどこなのだろうと。
自宅周辺は都市開発が進み、山などとうの昔に消え失せている。手元に届く封筒に貼られた切手は見たことのないものであるし、何より金額が一桁しかない上に、消印がないのだ。
手紙が、嫌いだ。
あちらとこちらの生き様が、手に取るように分かるから。
向こうも生きているのだと、まざまざと見せつけられるから。
手元にある手紙の束は、未だ捨てられずにいる。
(了)