第12回W選考委員版「小説でもどうぞ」佳作 桐の箱 羊子


第12回結果発表
課 題
贈り物
※応募数234編

羊子
桜の花が散る夜だった。
風呂上がりに携帯が鳴った時、和子はとうとう恐れていた時が来たことを悟った。その電話は、母久代からのもので、父の善一が危篤という知らせであった。
善一は昨年の秋頃から体調を崩し、食道がんと診断されたが、高齢のために治療を受けることもままならなかった。そしてなすすべもなく衰えていき、
知らせを受けて、和子は取るものも取りあえず、夫の浩二と共に実家近くの病院に向かった。車で五十分の距離は近いようで遠く、病室に到着した時、善一はすでに、久代に見守られながら亡くなっていた。その顔は、少し微笑んでいるようにも見えて、ここ半年余りの苦しい闘病生活を感じさせない様子であった。
医師が死亡の宣告をしたのは、零時過ぎだった。その後は悲しむ間もなく、慌ただしく葬儀会社を手配して、善一が実家に安置されたのは三時頃になった。翌日仕事がある浩二は家に帰り、和子は実家にそのまま泊まった。
翌朝は葬儀社が早くから打ち合わせに訪れた。
葬儀社の説明を聞きながら、和子はこれから手を付けなければならない物事の膨大さに呆然としていた。葬儀に関する決定事項はもちろん、様々な書類手続きや届け出など、急ぎで行わなければならない事柄は山ほどあった。
和子と久代は淡々と説明する葬儀社の指示に従いながら、戸惑いと緊張感の中で着々と物事を決めていった。
打ち合わせの後も、二人は親戚や知人に連絡を行い、知らせを聞いた近所の人が連れ立って焼香に訪れたりもして、休む間もなく対応に追われた。
久代は疲労が溜まっているに違いなかったが、この忙しさのおかげで疲れや悲しみが紛れているようだった。
和子は葬儀まで、引き続き四日間実家に泊まることになった。しかし着の身着のまま出てきてしまったので、浩二に衣服や化粧品を届けてもらうように連絡した。
浩二が実家に到着したのはその夜のことだった。
和子と久代が玄関で出迎えると、浩二はまず和子のボストンバッグを持ってきて挨拶をした。それから再び車に戻ると、今度は布を被せた桐の箱を、両手で大事そうに抱えて来た。
和子はその箱を見て密かに驚いた。多分浩二は、大変な時だからと二人を思いやって、何か美味しいものでも持ってきてくれたのだろう。そう想像して、和子は期待に胸が膨らんでいた。
しかしその一方で、父が亡くなったのに、そのようなことを考えて喜んでいいものだろうかとも思い、複雑な気持ちになった。
「えっ、何か持ってきてくれたの?」
和子は努めて平静を装って、浩二に尋ねた。
「何って。頼まれた化粧品だよ」
浩二は戸惑った顔で答えた。
そういえば、和子は鏡台の引き出しに入っている化粧品をあるだけ集めて、袋に詰めて持ってきて欲しいと浩二に頼んでいたのだった。
しかし浩二は、化粧品をどれだけ持ってくるべきなのか分からず、困った挙句に鏡台から引き出しを抜いて持ってきたという訳であった。
和子が覆っている布を取ると、確かに引き出しが現れて、中には見慣れた化粧道具がいつも通り入っていた。
その後、浩二は、
「忙しいのに申し訳ないです」
などと言って恐縮しながら夕飯を食べて、家に戻って行った。
浩二を見送った後、和子と久代は食卓を片付けて二人で皿洗いを始めた。非日常的で張り詰めた一日がようやく終わろうとしていた。
「浩二さん、昨夜も今夜も来てくれて大変だったわね。玄関で会った時に、立派な桐の箱を恭しく持って来たから、何か素敵な贈り物があるのかしらと思ってしまったわ」
その言葉を聞いて、和子は母も同じようなことを考えていたのだと、意外にも、そして
「私もそう思った。普段気の利いたことをする人ではないからまさかとびっくりしたのだけど。豪華なフルーツの盛り合わせが中に入っているのかなと思わず期待してしまったわ。だけど毎日使っている鏡台の引き出しだったとはね。それには気づかなかったし、本当になんというか、驚いた」
二人は顔を見合わせた。そして、久しぶりに声を合わせて笑った。
(了)