第12回W選考委員版「小説でもどうぞ」佳作 さよならのステージ 桜坂あきら


第12回結果発表
課 題
贈り物
※応募数234編

桜坂あきら
小さなライブハウスの中は、思った以上の盛況で、客のほとんどが若い女性であった。インディーズバンド四組が出演するライブ。インディーズバンドと一口に言っても、もうメジャーデビュー目前のアーティストもいれば、まだまだこれからの、いわゆる駆け出しのバンドもある。今日ここで登場するバンドは、そのちょうど中間くらい。微妙なラインで頑張っているバンドが揃っていた。チケットをさばくにもまだ苦労しているに違いない。
菜穂は最初から席にいたが、目当ては二組目のバンド。この四年間、ずっと聴いてきた。
メインボーカルでリーダーの翼は元彼。二か月前に別れた。翼とは大学の同期で、三回生の時から四年間付き合った。菜穂は就職して二年になる。翼は卒業後も夢を追い続けて今に至る。菜穂はそんな翼を心から応援した。もちろん翼を愛していたからだが、菜穂は翼の書く楽曲が好きだった。いつかきっとメジャーデビュー出来る日が来ると信じていた。
そんな菜穂であったが、周りを冷静に見渡すと、翼のバンドの立ち位置の厳しい現実も見えていた。それでも菜穂はまだ信じていたかった。きっといつか思いもしないチャンスが来ると。
だがそんな菜穂の気持ちとは裏腹に、翼がいつの間にか、少しずつ変わってしまった。純粋に夢だけを追いかけていた学生時代とは違う人間になってきたように菜穂には見え始めたのだ。
楽曲制作よりバイトの時間が長くなってきたのは、生活の上から仕方ないと理解していたが、翼に他の女がいるとわかった時、菜穂は諦めた。一緒に追いかけて来たつもりの夢も諦めた。
今日は最後のつもりでやってきた。別れてからも翼の曲は聴いていたが、今日を最後にもう聴かないと決めた。もう、前を向いて歩こうと決めた。菜穂は、今夜、客席から本当のさよならを言うために来たのだ。
照明が落ちた真っ暗なステージ。ドラマーのスティックがリズムを取ったあと、ステージが明るくなった。いつものオープニングナンバーを翼が歌い始めた。
翼が初めて書いた曲。菜穂がずっとずっと聴いていた曲。胸に迫るものがあった。
いろんな思い出が溢れるように心の中に蘇ってきたが、菜穂は泣くまいと決めていた。
翼とのことはもう終わったことだと自分に言い聞かせながら、菜穂は聴いていた。
聴き慣れた曲を六曲披露した後、メンバー紹介を終えた翼が客席に向かって言った。
「今日はありがとうございました。僕らのナンバーは、残すところあと一曲です。最後の曲は今日のために作った新曲です。聴いてください。君にさよなら」
菜穂と別れてから書いた曲だろう。聞いたことのないバラードだった。毎回ライブを見ていた菜穂だったが、翼が最後にバラードを歌うのは初めてだった。優しく切ないメロディーが胸に沁みた。
ステージの上から、翼の視線が、自分に注がれているように菜穂は思った。
「明るいステージから暗い客席はよく見えないんだ」翼はいつもそう言っていたが、今はしっかりと菜穂を見つめながら歌っていると感じた。
今も君を想っている 切なさを抱いて
今も君を想っている 寂しさの中で
今も君を想っている 絶望を抱いて
今も君を想っている 後悔の中で
泣くまいと決めていた菜穂だったが、いつの間にか涙が頬を伝っていた。翼たちがステージを降りた後、菜穂は自分の心が静まるのを待った。とてもこのまま帰る気にはなれなかった。
菜穂はステージ横から楽屋へとまわった。
小さなライブハウスだから、全員分の楽屋などはない。雑多な機材の間を、各バンドが住み分けるように楽屋代わりにしている。
今日はもとより翼に会うつもりなどなかったが、あの曲は私に向けて歌ってくれた曲。せめて一言、「よかったよ」と言いたかった。あんな別れ方をしたのに自分でも
菜穂は涙で化粧がすっかり落ちてしまったことも気にせず、翼のバンドメンバーがたむろする前に立った。
翼は他の女性と話しているところだった。菜穂にはまだ気付いていない。その女性の涙声が聞こえた。
「最後の曲、ありがとう。すごくよかったわ」
菜穂のすぐ前には、他の女性も立っていた。
私のために作ってくれたと思った女の三番目に並んでいることを理解して、菜穂はそそくさと踵を返した。
(了)