第12回W選考委員版「小説でもどうぞ」選外佳作 顔ドレッシングの新しい利用法 味噌醤一郎


第12回結果発表
課 題
贈り物
※応募数234編
選外佳作
顔ドレッシングの新しい利用法 味噌醤一郎
顔ドレッシングの新しい利用法 味噌醤一郎
その夜、仕事を終えて一人の部屋に帰宅した私に包みが届いた。嫁いで姓も変わった姉からだった。大きさの割に重めの箱の中はベイブ社製顔ドレッシングの詰め合わせ。いろいろ種類が違う五本の瓶。ほどなく姉から電話が来た。
「理名、いい歳して男っ気ゼロでしょ」
「だから顔ドレッシングか。私にはまだ早いよ」
「あなたは永久少女のつもり? そんなんじゃドレスコードのある店にも入れない。だからね」
そんなわけで、二週間後の土曜日の午後、姉に強要された私は都心まで一人で出向くことになったのだった。パーティーの会場は、私なんかが入ったことのない高そうなレストラン。私はちゃんとおしゃれをして、そして、顔ドレッシングもしっかり塗ってやってきた。レストランの初老の給仕さん、入り口で私の顔を眺め、鼻を近づけ少し匂いを嗅ぐと、にっこり笑って奥へ通してくれた。このお店にはドレスコードがある。ドレッシングを顔に塗っていないと中には入れない。私は、五本の瓶の中から自分で選んだコールスローがお店に承認されたことにほっとしていた。
「理名さん、ですね。初めまして。あの、すいません。少し味見をさせていただいても」
会場は軽食が用意された立食パーティーだった。私がワイングラスを持って立っていると早速、向こうからガタイのいい長身の男の人が駆け寄り、私の名札を見て声をかけて来た。覚悟していたとはいえ、それにしても、いきなりか。でも、そういうもんか。なにせ初めてだからわからない。
「はい。どうぞ」
「では。失礼して」
私は目をつぶった。彼はそんな私の右の耳の下を一舐めした。
「あ。おいしい。フレッシュです。コールスローですね。ベイブのものじゃないですか? 酸味ととろみが」
「詳しい。そうですそうです」
「そこに、微かに理名さんの薫りがまといついて」
これがテイスティングだった。
ここは未婚の男女が集うテイスティングパーティー。姉はいつまでも男に縁のない私を心配して、今日のパーティーのチケットを贈ってくれたのだ。
「私もいいですか? 少し」
「あ。どうぞどうぞ」
私はとりあえず彼がしたように耳の下を舐めてみた。あ、これは。
「どうですか? お気に召さない?」
「あ。いや。ええと、すいません」
私は謝り、彼が去った後、口の中をワインですすいだ。彼が顔に塗っていたものはサウザンアイランドだった。これは姉にもらった五本の顔ドレッシングの中で私が唯一、受け付けなかったものだ。濃厚な油脂と甘ったるい酸味、しかしさらに、そこに彼の汗のにおいが複雑に絡み合い、私の口の中はあたかも生ゴミの日になってしまった。吐きそうだった。
私は外の空気を吸おうと、裏口のドアを開けた。そしてそこで、悟さんは一人ビールのコップを持ち、林檎の木を眺めていたのだった。
「はは。逃げてきました?」
そう言って悟さんは笑った。眼鏡をかけた悟さんはこんな場所に似合わない無精ひげ。親に無理やりここへ来させられたところなんかは私とおんなじ境遇。私はそんな悟さんをテイスティングしたいと思い、こちらからお願いした。
「もちろん大丈夫。どうぞ」
私は悟さんの右耳の下を舐めた。あ、おいしい。なにこれ。
「すいません。もう、一口」
私は夢中になって舐めた。彼の無精ひげがアクセントになって、唇と舌が微妙な刺激に震えている。
「これ、僕が自分で作ったクリーミードレッシング。あの。僕も理名さんの、いいですか?」
こうしてこの日、私たちは時間を忘れてお互いを舐めあい、一年後、結婚することになったのだった。
そして、二人の暮らしがスタートした一月後、私が遅くに仕事から帰宅すると、先に帰っていた悟さんが夕飯を用意して待ってくれていた。メニューは、カレーと、ええと、これ、サラダ? 随分、豪華なサラダだね。いつもは野菜一種類なのに。
「レタス、キュウリ、トマト、キャベツ、玉ねぎ、ブロッコリー。いろいろ買った。会社の人にね、顔ドレッシングの新しい利用法を教えてもらったから」
「え?」
「顔ドレッシングを野菜に掛けるとおいしいんだって」
「うそ。マジ?」
野菜に掛けるドレッシングなんて聞いたこともない。ところが、試してみるとこれがすこぶるおいしかったのだ。新発見。
こうして私は、姉のところにベイブの五本入り顔ドレッシングを贈り付け、それを野菜に掛けて食べるよう強要することを思いついたのだ。
(了)