第12回W選考委員版「小説でもどうぞ」選外佳作 達人のプレゼント 十六夜博士


第12回結果発表
課 題
贈り物
※応募数234編
選外佳作
達人のプレゼント 十六夜博士
達人のプレゼント 十六夜博士
「あれっ? まだその財布使ってんすか?」
仕事にひと区切りがつき、打ち上げとばかりに、部下のイイズカと飲んだ店のレジの前。イイズカが赤ら顔を俺の財布に近づけた。
「まあな」
「課長って、ほんと物持ちがいいっすよね」
「そうかぁ?」と適当に返事をしながら会計を済ますと、「ご馳走さん」と店を出た。イイズカが続き、「ご馳走様です」とユラユラと頭を下げた。
駅まで二人で歩き始めると、「だって、そうでしょ」と、イイズカが話を戻した。
「この前、大変だったじゃないですか。小銭入れのところに穴が空いちゃって。レジの前でバラバラバラって」
イイズカがフラフラ歩きながら、口元をへの字にして肩をすくめる。
「あの時はすまなかったな」
「ホントっすよ。そこら中に散らばった小銭を這いずり回って拾ったんですから。恥ずかしい。そもそも今、現金使います?」
イイズカは、ポケットからスマホを取り出し、これ見よがしにかざした。
「今はこれ。キャッシュレス」
全く嫌な時代になった。まだまだ老人とは思ってないが、やはりハイテクにはついていけなくなっている。ただ……、俺には現金を使う理由がある――。
「そう言えば、小銭どうしてるんすか?」とイイズカが悪びれず続ける。
「小銭はひとまずポケット。基本使わない。タイミングを見て、小銭入れに入れる」
百円ショップで買った小銭入れをポケットから取り出して見せた。
「ホント、課長って、物持ちが良過ぎますって」
イイズカがあきれ顔をする。
「シャーペンだって高校の時から使ってるんですよね?」
「ああ」とひとまず肯定し、軽く暗算して、「三十五年になるかな」と続けた。
イイズカのあきれ顔が深まる。
「シャーペンって三十五年も使えるんすか?」
「直してくれるところあるんだよ」
「そんな良いものなんすか?」
「いや、百円で買った」
「で、修理代は?」
「二千円ぐらいかな」
ハッハッハッ、とイイズカが大笑いする。答えていて、イイズカの気持ちはわかった。確かに、モンブランのシャーペンとかならわかるが、百円のシャーペンを直しながら三十五年も使う奴は見たことも聞いたこともない。
「あのシャーペンはな、戦友なんだよ。あいつを使って俺は勉強し続けた。受験を乗り切り、英検を乗り切り、課長試験を乗り切った。あいつのお陰で今の俺がある」
「大袈裟だなぁ。まぁ、でもそういう何でも大切にするところ好きですよ。人も大切にするし」
最後に小憎らしいことを言うと、「俺こっちなんで」と、イイズカは地下鉄の駅に潜って行った。
翌朝、まず仏壇にコーヒーを供えた。土曜日はいつも、キョウコの笑顔を見ながら、喋りかけるのがここ十年の習慣になっている。
「お前にもらったこの財布、そろそろ引退かなぁ」
昨日、イイズカに笑われた財布を仏壇に置いて、天国のキョウコに問うてみた。キョウコはニコリと笑ったままだ。
この財布はキョウコが最初にくれたプレゼントだ。短大卒のキョウコが初任給で買ってくれたもので、その頃、俺はまだ大学生だったから、金額を聞いてたまげた。
(そんな高いもの大丈夫?)
(良いものは長持ちするし。リョウちゃんなら大切に使ってくれるから)
そう言うと、キョウコは書きかけの実験レポートの上に転がるシャーペンを指差した。
やっぱり財布を引退させたくない――。財布を直してくれるサービスもあるかもしれない。ただ……。シャーペンは戦友だが、この財布はキョウコとの想い出そのものだから破れた小銭入れの部分すら愛おしい。手を入れたくなかった。
「財布、随分年季入ったね」
気づくと、娘のアイミが仏壇の横に並びながら言った。おりんを鳴らし、目を閉じる。朝、キョウコに挨拶するのはアイミも習慣になっている。
「これ、小銭入れ破れちゃってさ。やっぱ引退かな?」
財布を手に取り、アイミに見せると、しばらく財布をあれこれ調べた後、「そうだね」と軽々と引導を渡した。微笑む笑顔が、仏壇のキョウコにそっくりになっていた。
その日の夜、スーパーで買った刺身を供に、定番となった一人晩酌をする。昨日飲んだのに、やっぱり夜は飲みたくなる。というか、アイミも社会人三年生になり、家で一緒に夕飯を食べることもほぼなくなって、やることもないので晩酌してしまうというのが実態だ。キョウコが亡くなった後、アイミの弁当作りを含め、慣れない料理に四苦八苦したのが今では懐かしい。人って自分のためには頑張らないんだな――。キョウコを失い、アイミも独り立ち。そして、盟友の財布が引退危機ということもあり、何となく黄昏やすくなっていると、珍しく、アイミが早々に帰ってきた。
「はい。ちょっと早いけど、誕生日プレゼント」
予想外の贈り物に驚きながら、開けてみると、財布だった。
「お母さんがプレゼントしたやつに似てるでしょ。探すの大変だったんだから」
「うん。そっくりだ。ありがとう。いやー、嬉しいなぁー」
なんだかキョウコに貰ったような気がする。
「高かったろ。お金払うよ」
「いいよ。だって、お母さんの遺言だもん」
「遺言?」
「そう。『お父さん、お母さんのあげたものきっとボロボロになるまで使うから、使えなくなったら買ってあげて』って言われてたの」
初めて聞く話に、目を大きく見開く。天国からのプレゼント――。仏壇を見ると、キョウコはアイミと同じ顔で笑っていた。アイミと財布を交互に見た。俺は今でもキョウコのプレゼントに包まれている。
(了)