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第13回W選考委員版「小説でもどうぞ」佳作 セールスマンの星 かすみけいこ

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小説でもどうぞ
結果発表
第13回結果発表
課 題

契約

※応募数249編
セールスマンの星 
かすみけいこ

「突然のご訪問、失礼致します。私、ナチュラルライフの谷と申します」
 何百回も発してきた挨拶から始まり、自社製品の水のペットボトルを手にお馴染みの決まり文句を口にする。今週は百五十軒も回って、まだ一件も契約を取れていない。そんな中、やっと家に上がらせてもらえたんだ。ここで決めなくては。
 閉じた襖を背にして、菓子パンが置かれたちゃぶ台の向こうに座る老人――松尾さんは、俺の売り込みを黙って聞いた後、「胡散臭い水だな」と吐き捨てた。確かに一本五百円は高いし、目につくスーパーにも並んでいないが、決して詐欺商品ではない。ミネラル豊富な天然水だ。それを改めて説明すると、松尾さんは面倒くさそうに頷きながら話を遮った。
 だめか――そう諦めかけた時、ちゃぶ台に一枚の紙が静かに置かれた。
「この契約書にサインしてくれたら、あんたの水を買ってやる」
 俺は息をのんで、紙に手を伸ばす。そこには手書きで、『新星移住契約書』と書かれていた。……なんだこれは。
「ええっと、松尾さん、こちらは……」
「話すと長い。わかりやすく言うと、眠ってる間に星を見つけたんだよ。ちゃんと人が暮らせるいい星だ。俺は昔大工をやってたもんでな、今はそこに何軒も家を建ててんだ。けど、誰も住まない家が可哀想になっちまってな。それで、星の住人を探してるってわけだ」
 全然、意味がわからない。呆気に取られていると、松尾さんは肩をすくめて笑った。
「信じられねえって顔だな。ま、俺もその水で健康になれるなんて思っちゃいない。それでもあんたは、俺に買ってほしいんだろ。だったら、俺の契約書にサインしてくれ」
 契約書を隅々まで読み直した。内容は単純で、『宇宙船が迎えに来たら乗り込んで移住する』、それだけだ。俺をからかっているのか、それとも呆けているのか。なんであれ、俺はサインすることにした。契約が取れるならなんだっていい。
 それからというもの、俺は二週間おきに松尾さんに水を届けるようになった。本来なら玄関前配達サービスがあるのだが、松尾さんに「俺は足が悪いから部屋まで直接持ってきてくれ」と頼まれたからだ。月に五十本も買ってくれるならお安い御用だった。
 松尾さんはいつもキンキンに冷えた水を俺に出してくれて、菓子パンをつまみながら新星居住化の進捗を報告してくるのだった。
「次の家はヒノキを使う予定だよ。近くの森が豊かでな、果物だって食い放題なんだ」
「丘の上に建てた白い家が洒落てるぞ。庭から海が見えるんだ。藤棚もつけてやった」
「湖の前に丸太小屋ってのもいいな。谷さん、釣りが好きだったろ。ついでに狩りもどうだ」
 そんな話を何ヶ月も愛想笑いで聞いているうちに、俺は星の情景を頭の中に思い描けるようになっていた。本当に、そんな星があったらいいのに。孤独な老人の空想は、気づけば俺の中で夢物語に変わっていた。
 一年半が過ぎたある日、いつものように水を届けに行くと、家の前が騒がしくなっていた。室内の家具が次々と運び出され、トラックに積まれている。胸がざわつき、とっさに家の中へ駆けこんだ。そこに松尾さんの姿はなく、見知らぬ女性が涙ぐんで立っていた。
 松尾さんは一週間前に心筋梗塞で亡くなっていた。倒れた姿を見つけたのは別の男性で、松尾さんには身寄りがなく、後のことは専門業者が引き継いだという。この女性も、業者の一人からそのことを聞いたばかりだそうだ。
「そうですか……松尾さんには仕事でお世話になっていたので、残念です」
「ええ、私も。いつも訪問販売のパンを楽しみにしてくださっていましたから……」
 松尾さんがよく頬張っていたパンを思い出す。あれはこの女性から買っていたものだったのか。その瞬間、ある疑問が頭に浮かんだ。
「もしかして……あなたも、あの契約書にサインを?」
「新星移住契約書、ですよね。もちろんですよ」
 女性はふふっと微笑んだあと、再び目の端に涙を滲ませ、上を向いた。
「最後にお会いした時は、宇宙船をどうやって作ろうか悩んでおられました」
 俺はふと、開け放たれた襖の向こうに目をやった。これまで見たことがなかった一室だ。
 そこには、ウォーターサーバー用のボトルや見慣れないブランドのサプリメント、埃をかぶった健康器具が散乱し、隅には封が切られていない家電製品の箱が山積みになっていた。俺が届けていた水も大量に残されている。
 女性は涙を拭うと、俺の方を見て言った。
「宇宙船が迎えに来たら、乗り込みますか?」
「そりゃあ、そういう契約ですからね」
「……じゃあ、その日が来たら、よろしくお願いしますね」
 松尾さんが作った星の住人たちを想像して、俺は思わず笑みをこぼした。
(了)