第13回W選考委員版「小説でもどうぞ」佳作 偽装結婚 我楽大


第13回結果発表
課 題
契約
※応募数249編

我楽大
もうすぐ妻が死ぬ。生命維持装置に繫がれて、自発的に呼吸をできない彼女に意識はない。生きていると私には思えないが、それえでも法的にはまだ生きている。私が装置の電源を切れば、全ては終わる。その権利を夫である私は有している。
本当にそうなのだろうか。法的には私は彼女の夫だ。しかし真実は違う。私たちの結婚は偽装されたものであるのだから。
話を持ちかけたのは彼女だ。彼女は大学の後輩だった。私が大学を卒業して三年後に、偶然再会した。その頃の私は、過失で膨大な借金を背負わされていた。蒸発するか、身を投げるか、その二択だけだった。私は後者を選んだ。
彼女は現れたのは。駅のホームのベンチから線路を見つめていたときだった。それから私は駅前の喫茶店に連れて行かれた。私は仕方なく近況を自嘲気味に語った。それを聞いて、彼女は第三の方法を提示してくれた。
「私と結婚しましょう」
彼女は地方の名家の令嬢だった。大学を卒業後に帰省すると、両親は家の存続のために縁談を用意した。それは彼女の意思を無視したものだった。彼女は反対した。しかし両親を納得させる材料がなかった。結局、両親の命令に従うほかない状況となった。絶望した彼女もまた線路へ飛び降りようと決めたそうだ。そんなときに私と再会したのだ。
「先輩も命を捨てるなら、その命を私にください。先輩を紹介すれば、両親を説得できます。先輩の借金も親の資産を使えば返済できます。ウィンウィンです」
「恋人でないオレたちがそんなことすれば偽装結婚になるけど、いいのか?」
「紙に判子を押して役所に提出するだけで、後のことは誰も気にしません。バレませんよ」
「やめようといったら、どうする?」
「一緒に線路へ飛び降りましょう。私の人生もどん詰まりですので」
私は彼女の提案を受けた。後はあっという間だった。彼女の両親に挨拶して、役所に書類を提出して、式を挙げて、妻となった彼女から金を受け取った。
その後は成田離婚をするつもりだったが、体裁が悪いと彼女が反対したので、夫婦生活はしばらく継続となった。
平凡な日々だった。何ごともなく月日が経ち、そろそろ離婚しようかと妻に提案すると、妻から親の遺産を相続するまで待とうと逆に説得された。彼女の両親の膨大な資産は魅力だった。私は妻の意見に従った。
時が経ち、両親に孫を催促されたと打ち明けられた。相続を考えると、子どもがいた方が都合は良い。妻に説得されて、私たちは子どもを作った。一男二女。多かったかなと私がは言うと、多いほうが説得力はあると妻は笑った。
さらに時が経って、妻の両親が相次いで亡くなった。二人とも自然死だった。遺言は公開されて、妻は遺産を相続した。私たちは今後について話し合った。子どもたちはまだ小学生だった。私たちの契約と子どもたちは関係ない。子どもたちが成人するまでは夫婦でいよう。そのように私たちは決めた。それから末子が成人するまで夫婦を続け、末子が家を出た日、妻から打ち明けられた。
「もう少しだけ夫婦を続けて欲しいの。私、悪い病気に罹っちゃった。それで世話してくれる人が必要なの。必ずあなたが相続できるように遺言を残すから、お願いします」
すぐに妻は入院した。末期癌だった。私は妻の頼みを引き受けた。私の役目は、病室のベッドにいる妻の隣にいることだった。私たちは話をした。昔話、現在の話、未来の話まで。どのような話でも妻は微笑んだ。
最期の日がやってきた。私は装置の電源を切った。延命を拒否していた妻の意思を尊重したのだ。
葬式を終えて、弁護士の立ち会いの下に遺言は開示された。妻は約束を守った。そして遺産と共に一通の手紙を受け取った。
『私は嘘をついていました。あの日、私に自殺する気はありませんでした。縁談を受けるつもりだったのです。そんな時に偶然あなたと再会し、話を聞いて、あなたを救いたいと思いました。理由は単純です。あなたが大切な先輩だったからです。あなたにとっては偽りの生活でも、私には楽しい日々でした。時間を奪って、すみません。でも、ありがとう」
手紙を読み終えた後、遺産を使って彼女の墓を建てることに決めた。そしていつの日か私もそこに入ろう。そう思ったとき、私は胸に感じる寒さに震えた。
私も嘘をついていたようだ。
(了)