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第13回W選考委員版「小説でもどうぞ」選外佳作 ダークパターンにご注意 犬。

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小説でもどうぞ
結果発表
第13回結果発表
課 題

契約

※応募数249編
選外佳作
 ダークパターンにご注意 犬。

「解約したいんですけど」
 窓口でそう告げた瞬間、店内の空気が一瞬で冷えて固まった気がした。
 少しの沈黙の後、スタッフが私を見つめたまま一度だけゆっくりと瞬きをして、口を開く。
「ご契約の解除手続きをご希望とのことでよろしかったでしょうか」
 妙な圧力に喉が張り付きつつも「はい」となんとか答えた。
 スタッフは固い笑顔のまま「専用窓口で承ります」と言いながら立ち上がり、私を店の奥へと案内する。
 店の角に隠すように配置されたドアの前で立ち止まり、そのドアを開いて私に向き直り、「こちらからお進みください」と言って深々と頭を下げた。
 数秒ほど躊躇したが、スタッフは顔を上げる気配が一切ない。諦めて足を踏み入れた。

 中は通路になっており、奥にはドア、壁には一枚の張り紙があった。
 訝しみながらそろそろと何歩か歩いたところで後ろからドアが閉まる音がして、私は息を飲んだ。
 言いようのない不安で呼吸は浅くなり、耳の奥から鼓動が早まるのが聞こえる。
 張り紙を見てみると【解約に関する規約】が長々と書かれており、その下には同意するための署名欄があった。
 鞄からペンを取り出し、震える指で署名欄に名前を書き終えると開錠音が聞こえた。
 ドアを恐る恐る開いた先には、同じような通路と、奥にはまた同じようなドアが見える。

 次のドアの隣には入力端末があり、上部に【会員IDと暗証番号をご入力ください】と書かれていた。
 財布から会員証を取り出して確認しながら、それぞれ8桁の会員IDと暗証番号を慎重に端末に入力する。
 またドアから開錠音が聞こえた。
 この時点で既に嫌な予感はしていたが、前に進む以外の選択肢はなかった。
 ドアを開くとまたしても通路とドアが見える。

 次のドアの周りには何もなく、ドア自体に文章が書かれていた。
 内容は、解約した際に得られなくなるサービスについて事細かに記されており
【解約をご希望の方はお進みください】
 という一文で締められていた。
 私がドアノブを握るとかちゃりと音がした。
 ドアを開く。通路。ドア。
 くらくらとしながら足を進める。

 その後も私はいくつものドアを開いた。
 生年月日と氏名、携帯番号認証、秘密の質問、指静脈認証、バスが含まれる画像をクリック。
 進むたびにあらゆる方法での本人確認と、無意味な同意が求められた。
 自分の中の緊張や不安感が、だんだんと怒りや焦燥感に変わりつつあると感じた。

 一体私は何をさせられているのか。
 ただ解約したいだけなのに、どうしてこんなことをしなくてはいけないのか。
 契約するときは差し出された入会書に住所と名前と電話番号を書いただけじゃないか。
 紙切れ一枚で契約できたのなら、紙切れ一枚で解約できるべきじゃないか。

 あれから何時間経っただろう。
 もう私には自分が何を契約してしまい、
 何を解約したいのかもわからなくなっていた。
 とにかくこの地獄から出してくれ。

 壊れかけた私が目にしたのは、ドアの上に書かれた「最終確認」の四文字だった。
 無意識に駆け寄り、隣の端末にこれまで何千回と入力した暗証番号を一瞬で打ち込む。
 かちゃり。
 ドアノブを握りゆっくりと押すと、ドアの隙間から眩い光が差し込む。
 私の明るい未来を示しているかのようだった。
 ああ、ようやく、解約できるんだ。
 
 開いたドアの向こうへ勢いよく飛び込んだ私は、目の前の景色を見て硬直した。
 道、並木、建物。
 そこはどう見ても屋外だった。
 呆然として歩き出す。
 爽やかな風に吹かれると、まるで悪い夢から覚めたかのような気分だった。
 嫌な予感に首筋が冷たくなる。
 急いで振り返るとドアは閉まっていた。
 開こうとしたが、ドアにはノブがなく、
 その代わりに一枚の古びた張り紙があった。
【正常に処理できませんでした。最初から再度お試しください】
(了)