第13回W選考委員版「小説でもどうぞ」選外佳作 契約関係 白浜釘之


第13回結果発表
課 題
契約
※応募数249編
選外佳作
契約関係 白浜釘之
契約関係 白浜釘之
夕暮れ時の河原をとりとめのないことを話しながら散歩していると、不意に彼女がにっこりと天使のような笑顔で腕を絡めてきた。
「あと五分でお別れでしょ? だからこうやって腕を組んでもいい?」
もちろん僕に否やはない。彼女にされるがまま腕を差し出す。そのまま五分ほど歩いていくと約束の時間が訪れた。
「ご契約のお時間が来ましたので、これで失礼いたします。本日はご利用いただきありがとうございました」
つい今しがたまで交際中の彼女のようにふるまっていた女の子は、十七時きっかりにそう告げると地下鉄の駅に駆け込んでいった。
僕に残されたものと言えば、最後に五分間、彼女が組んでくれた腕のぬくもりだけだった。
「あはは、それは残念だったわねー」
帰宅して妹に今日のデートの顛末を聞かれ、すべて正直に話したらいきなり大笑いされた。
「でも『契約カノジョ』なんてそんなものじゃない? 最後に腕を組んだのだってサービスっていうよりちょっといい思いをさせてリピーターにしようって魂胆だよ」
「そうか……なるほどなあ」
頷く僕に、
「感心してる場合じゃないでしょ! お兄ちゃんはちゃんとしてればそれなりにモテるんだから、そんなヘンなビジネスに引っ掛からないで本物の彼女を作った方がいいよ」
妙に神妙な顔で妹はそんなことを言った。
その夜、一人で部屋に籠って受験勉強をしていると、ノックの音がした。ドアを開けると妹が立っていた。
「お兄ちゃん、実は今日で契約の期限がきちゃったんだ」
妹は寂しそうに俯いたまま呟いた。
「そうなんだ……」
本当の兄妹ではないとはいえ、一年以上も家族として暮らしてきた妹と今日でお別れかと思うと寂しかった。そういえばここ数日妹の様子がおかしかったのは、もうすぐ契約期間が終了してしまうと思っていたからだったのか。僕は彼女の契約期間のことは両親から告げられていなかったし、あえて聞くこともしなかったから青天の霹靂だった。
でも、もし聞いていたらきっと契約期限が近づくにつれ、懸命に思い出作りをしようとしたり、残りの日々を数えて感傷的なったりしてちゃんと兄妹の関係を維持できなくなってしまっただろうから、これでよかったのかもしれない。
「今までありがとうな。元気でいろよ」
「お兄ちゃんもね。今まで優しくしてくれてありがとう……じゃあね、バイバイ」
妹は泣き笑いのような表情で手を振って、この家に来た時と同様、ボストンバッグ一つで出て行った。両親から勝手にあてがわれた時にはちょっと反発もしたけれど、一緒にいるうちにすっかり本当の兄妹のように思えてきた妹が明日からいなくなると思うと寂しかったが、契約家族法の定めがあるので仕方のないことだ。むしろ短時間とはいえ妹がいたことを両親に感謝しなければならないだろう。
その後、僕は大学に入って本格的に始めた音楽活動がたまたま認められて音楽クリエーターとしてデビューすることが決まった。
数十項目に及ぶ膨大な契約書を交わすことになったのだが、その際も揉めることがなかったのはやはり子供の頃から契約になれていたからだろう。契約内容には私生活についても細かく書かれていたが、特に苦にもならなかった。多くのアーティストが醜聞によってその前途を絶たれていたし、むしろ契約を盾に妙な付き合いをしなくて済むことが多かったので契約があってよかったくらいだ。
やがて僕はある女優と結婚することになった。もちろん契約を交わしてのことだ。お互いの仕事で得た財産についてや、出産に伴う休業期間、プライベートの取り扱いなど百項目以上にわたる同意事項にサインをして、多くの仲間にも祝福された結婚だったが、数年後、相手の浮気によりあっけなく破綻した。
「あなたといても息がつまりそうだったわ」
彼女は僕に向けてそう嘆息したが、これも決してマスコミに流されることはなかった。契約書に相手を貶めることを公言することが禁じられていたからだ。その日、僕が部屋に籠って一人で泣いていたことも誰も知らなかっただろう。クールが売りの僕が公で感傷的に泣くことは契約違反だったのだから……。
そして晩年が訪れ、すっかり寝たきりになってしまった僕は、いつしかそんな愚痴を雇っている看護師に話すだけの日々になっていた。彼女はそんな僕の話を辛抱強く聞いてくれて、いつも献身的に尽くしてくれた。僕は思わず彼女の差し出す手を握りしめ、
「君の手を握っててもいいかい」と聞いた。
「はい、旦那様」
天使のような笑顔で、彼女は答える。
「それも私の契約に含まれておりますので」
(了)