【第1回】 ヤマモトショウ 創作はいつまで続くのか 学生バンド時代を振り返る


さて、「ライブで演奏をしたい」というのは、創作的なのかということだが、少なくとも私自身が最初にそれを思ったときにそのような意図はなかったと思う。というのも、実際に私がやったのは誰かがつくったものをコピーし、それを譜面通りに演奏する、ということだったからだ。(もう少し厳密に言えば、その演奏で十全であると思ったからである)。
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実際私が自分の音楽人生の最初期に行なったライブでは、コピー曲をただそのまま演奏しただけだった。
そのまま、というのはその時に買ったバンドスコア(これは多くの人には馴染みがないかもしれないが、楽曲におけるバンドの演奏を採譜したものだ。有名曲であればギターやベース、ドラムなど各パートごとの楽譜がまとめて書いてあるものが楽器店などで販売されている)に書いてあるとおりに演奏した、ということである。
そもそも、楽譜通りに演奏できていたのかということも定かではないのだが、さらに具合の悪いことにこの市販されているバンドスコアというものは楽譜としてはかなり「あやしい」ものも多い。その楽曲をレコーディングしたメンバーがつくった楽譜というわけでもないことがほとんどなので、細かい音が間違っていたり、奏法について詳しく記載されていなかったりということが多々ある。
実際に音源の通りにきちんとコピーをしようと思ったら、自分でその音楽を何度も聴き、楽器の奏法を学び、自分で再現してみるしかないのである。しかしそこをすっ飛ばして、どうしてこれで良いと思ってしまったかといえば、その拙いコピーを演奏したライブが「盛り上がってしまった」からだったのだろうと思う。
中学生や高校生の頃の自分の感覚が間違っていたとまでは思わないが、文化祭で演奏するというような状況はそれなりのマジックがかかっていて、演奏力や内容以上の反応をもらってしまうものであることは間違いない。
もうひとつ、状況をややこしている原因があるかもしれない。それは私が最初に選んだギターという楽器の特性である。ギター、特にエレキギターという楽器は私が思うにどうも「勘違いをしやすい」楽器なのだ。
あまり楽器に馴染みのない方には、「そもそも楽器を弾けるということが十分にクリエイティブだ」と感じるかもしれないが、まさにギターの演奏というのはその勘違いを発生させやすい絶妙な難易度を持っている。弾き始めるとわかるのだが、最初にほんの少しだけ大変なところがあり、しかしほとんどの場合そこを乗り越えればとりあえず楽曲を(それがその楽曲だと一応わかるくらいに)演奏できるようになる。
実際にはここから先の道のりがとんでもなく長い非常に奥行きのある楽器なのだが、入り口から「ちょっとできるようになるまで」がまさに絶妙なのである。
そのため、それまで楽器をやっていなかった自分も「何かができているような感覚」を覚えてしまった。(実は、子供の頃にピアノを習っていたのだが、すぐにやめてしまって音楽に対する苦手意識すらあったのだ)。
このような状態を私の創作における段階αであるとしよう。
段階αにおいては、「自分は何かクリエティブなことをしている感覚」というものは得になかった。
バンド活動は、既存の楽曲をコピーして(何度も言うが実際にはちゃんとコピーできてはいなかった)、それを人前で演奏するだけ。しかしながら、文化祭といったような特殊な環境のため、それが盛り上がってしまい、「何かができているような錯覚」をしてしまっている。ギターに関しても、周りの人はほとんど弾けない(やっていないのだから当たり前である)のに対して、自分は弾ける側という少数派に属している自負を持っていたわけだ。
実は、今もこの段階αからそれほど進歩していないような気もしている。しかし少なくとも変化があるとすれば、この頃の自分がその段階にいたということを認識できているという点だ。
段階αが果たして「創作」という観点において、何か問題のあるものだったのか、あるいは必ずそこを経て、あらたな段階βに進むものなのか。
このコラムが続く限り、「創作」への姿勢がどのように変化していくものなのかということをあくまで自分ごととして振り返ってみたいと思う。
次回の更新は10月1日(水)を予定。お楽しみに! |
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