第14回W選考委員版「小説でもどうぞ」佳作 卒寿アイドル がみの


第14回結果発表
課 題
卒業
※応募数281編
がみの
「ババアのくせに」
楽屋の隅から、早見エリカが憎々しげな顔で罵声を浴びせてきた。龍野レンはエリカと付き合っていたんだっけ。私はエリカを無視して椅子に座る。目の前に写真週刊誌が広げられていた。
『歳の差70の恋』と煽情的な見出しがあって、私とレンの路上キスの写真がアップで掲載されている。18歳で女優としてデビューしてから既に72年。浮名を流したことは数多く、何ということもない。恋という感情ももはや忘れてしまった。すべて流されるままに過ごした結果だ。同期の芸能人たちからは、歳を考えろとか、自重しろとか、うるさいことを言われてきたが、あの人たちと私は違う。あの人たちは、かわいそうなぐらいこてこての化粧やかつらなどで若く見せようとしていた。私はすっぴんでも肌はつやつや、髪はしっとりで、『永遠の18歳』というキャッチコピーがいまだに使われている。今年で卒寿でありながら、女性アイドルグループ歌手のセンターを張っている。そのグループが出来たのが30年前。60歳にして初めての歌手デビューで、還暦アイドルと呼ばれた。今では卒寿アイドルだ。
メンバーは次々と入れ替わり、私だけが残っている。当初のメンバーは今では中年になり、芸能界を引退した者がほとんどだ。残っているメンバーも、歌手ではなくタレントや俳優になっている。
しかし、さすがに卒寿でこの外見と体力はまずいかなという気もしてきた。アンチエイジングの食品、サプリなどを摂っているからとごまかしてきたが、限界がある。
「引退しようと思っているの」
事務所の社長に告げると、ちょっと顔色が変わったが、ため息をつきながら言った。
「会社としては痛手ですが、あなたは私の父よりも年上なのですから、致し方ありませんね。長い間、ありがとうございました」
全国を回る卒業ツアー、その名も卒寿ツアーを行って、引退することになった。
かかりつけの病院へと赴く。そこの事務局長は私がデビューした当時のマネージャーだった。あの頃は20代だったが、今や90を超えている。この男が昔事故にあった時、私の血を輸血したことがある。そのせいか、見かけはまだ60代だ。私の秘密を知った彼は、私の血をもとにアンチエイジング用の薬を作り、大儲けしている。実年齢より10歳ぐらい若く見える程度の薬だが。
「今度、アイドルグループを卒業することになったの。ついでに芸能界も引退するわ」
事務局長はうなずいた。
「さすがに潮時でしょうね。新しい戸籍を用意しますか」
「どうしようか。戸籍だけでなく顔も変えないとおかしいわよね」
私は昭和10年生まれということになっているが、実際は戦後のどさくさに紛れて他人の戸籍を盗んだのだ。もともとの外見が18歳程度なので、昭和28年に表舞台に出てきた。かつての自分はひと目につかないようにし、住むところも友人関係も数年単位でリセットしていた。かつて、いつまでも歳を取らないということで不審に思われたり、恐れられたりしたことがあったからだ。しかし、あの戦争が私を変えた。私だっていつ死ぬかわからないのだから、好きに生きていこうと思った。今まで目立たないように生きてきた反動で、女優として華やかな舞台に上がった。それから72年、目立ちに目立って生きてきた。この時代は面白い。これだけ長期間歳を取らなくても、さすがは女優、自己管理に長けているとか褒められる。
「とりあえず戸籍だけ用意しておいてもらえる?」
私はそう頼んだ。卒寿ツアーが終わったら、病死を装うことにしよう。
全国を巡る卒寿ツアーが始まった。私のグループのファンは10代から90代まで幅広い。年寄り向けの古くさい歌もあるが、それが意外に若い人にも受けたりする。時代は巡るということを痛感する。
ツアーの最終日、最後の歌を歌い終わった瞬間、私は激しい胸の痛みで倒れ込んだ。呼吸も苦しい。周りの子が悲鳴をあげる。
私は自分の手にしわが広がるのを見ていた。恐らく顔を含めて全身に広がっているのだろう。たぶん髪は白くなっている。くくっと私は笑った。ようやく寿命が来て、一気に老化が進んだようだ。これでみんな私が本当に卒寿だったと思うだろう。実際は千寿なのだが。
私と一緒に人魚の肉を食べたあの子は、八百歳まで生きたのに、殿様に惚れて残りの寿命を譲った。自分の肉を食わせたのだ。私にはそこまで惚れた男はいない。あの子のことをずっとうらやましく思っていた。でも天命に対して、あの子は中退で、私は卒業と言えるのではないだろうか。そう思いたい。
(了)