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第14回W選考委員版「小説でもどうぞ」選外佳作 南へ たかすかまさゆき

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小説でもどうぞ
結果発表
第14回結果発表
課 題

卒業

※応募数281編
選外佳作
 南へ たかすかまさゆき

 卒業して一ヶ月以上が経っても、わたしはまだ木になれていなかった。卒業した他の同級生たちはもうとっくに木になっていた。木になれていないのはわたしだけだった。わたしの学年で最速で木になった子は、卒業式が終わって体育館を出てから一分十三秒で木になった。学校の傍らに大きな川が流れていて、かねて川の側で木になりたいと言っていたその子は、卒業式が終わると一目散に川へ駆けていき、土手を駆け下り、川に足首を浸して目を瞑り、呼吸を整えているとあっという間に木になった。柳だった。なったばかりの柳の木はか弱かったけれど、いまではもう二メールを越えるまでに成長している。我が校の最高記録は卒業式後三秒、というもので、その記録は百三年前に樹立された。いまでは伝説となったそのひとは、卒業式が終わって体育館を出ると、ものの三歩で木になってしまった。当時の体育館は老朽化のために取り壊され、いまでは残っていないけれど、改修された体育館のすぐ傍らにはいまでもその木が残っている。樹齢百年を越える杉の木は、いまでは太く、季節を問わず鬱蒼とした緑の葉をどっしりと繁らせている。
 わたしとあなたは学校の裏手にある丘の上で、その時が来るのを待っていた。卒業してからもう三週間が経っていた。卒業して二日後にずっしりと立派な桜の木になった子は、もうすっかり桜の花びらを散らした後だった。まだ木になれていないのは残すところわたしとあなただけになっていた。落第生のわたしがまだ木になれないのはしかたがないとして、優等生だったあなたがまだ木になれていないのはどうにも不思議なことだった。先生たちは時々納得いかなそうに首を傾げながらわたしたちの様子を見に来ては、やはり首を傾げながら丘を下っていった。先生たちの誰しもが、あなたが木になれないのはわたしと一緒にいるからだと胸中思っていることは、わたしもあなたも分かっていたけれど、わたしもあなたもそれを口にはしなかった。
 ほんとうはなれるんやったら鳥になりたいんやけどね。あなたはたびたびわたしに言ったものだった。やけど、木になったらたくさん鳥が留まりに来てくれるけん、それはそれでええか。あなたはあなたの故郷の町のことばでわたしに喋った。この学校にはいまでは全国各地、さらには海外からも学生がやってくる。けれども、学校ではこの国の標準語を話さなければならなかった。この国の土地に生涯根付く木になるのだから、というのが理由で、この国の標準語を話すことでより立派な木になれるといわれていたが、ほんとのところは分からなかった。あなたはわたしと二人きりの時は、いつもあなたの町のことばで話した。きみがかわりに鳥になってくれん? そのためやったら居心地のええ木になったげるよ。丘の上で二人で並んで座ってぼんやりと星を見上げながら、あなたは冗談めかして言った。あなたが木になると、あなたのことばはもう聞けなくなるのかと思うと、わたしはなんだか悲しかった。
 ある朝目が覚めると、あなたは木になっていた。卒業式から一ヶ月と四日後のことだった。あなたは幹の太く背の高い立派なビャクシンだった。あなたの町には樹齢八百年を超えるビャクシンがあると話してくれたことがあった。先生たちは丘を上って来てビャクシンを見上げると、みな満足そうに頷いて、丘を下りていった。それ以降、先生たちがやってくることはなかった。人間はわたしひとりになった。あなたがわたしに話しかけることはもうなかった。
 夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬になった。丘は雪に覆われ、ビャクシンの葉や枝にも雪が降り積もった。わたしはビャクシンの幹に石で文字を書き殴った。「まだ浅く人間である冬の朝」。
 年が明けたある朝、目が覚めると身体の様子が変だった。ついに木になったのかと一瞬思ったが、わたしは動くことができた。手を動かそうとすると、手のかわりになにか薄くてふさふさしたものがパタパタと動いた。雪が溶け、湖みたいにおおきな水溜まりが丘の頂にできていた。わたしは水溜まりに向かってよろよろと歩いていった。足はふらつき、勝手に飛び跳ね、まっすぐ歩くことができなかった。水溜まりを覗き込むと、そこには灰色をした一羽の鳥が映っていた。なんの鳥なのか自分でもよく分からなかったが、渡り鳥だということは、なぜだかすぐに分かった。あなたの町はここからはるか南にあって、わたしはそこへ飛び立つのだということも分かった。けれどもまずは飛ぶことに慣れないといけないし、良い風がやってくるのを待たないといけないし、なによりなんだか無性に眠たかった。わたしは何度か羽をばたつかせて、すぐ側のビャクシンの太い枝に留まった。とても居心地が良かった。そうして南へ渡るその時がやってくるまで、わたしはあなたの腕のなかで深い眠りについた。
(了)