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第14回W選考委員版「小説でもどうぞ」選外佳作 一時の涙 髙谷慎太郎

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小説でもどうぞ
結果発表
第14回結果発表
課 題

卒業

※応募数281編
選外佳作
 一時の涙 髙谷慎太郎

 キックボードはバックパックから三分の一ほど飛び出していた。京都駅の方から滋賀へと続く幹線道路沿いを進んだ。俺は東京を目指してた。峠のバス停で夜を過ごした。野生動物がうろうろしてたりで時々恐ろしかった。朝日が昇る前に目覚めて、琵琶湖の側を汗だくのまま進み続けた。一日は長かった。俺は初めて見る景色ばかりの中で、頭がオカシイ奴みたいに歌を歌ったり、うなだれたり文句をぶつくさ呟いたりした。でも清々しかった。ひどく疲れきってはいたが、大したことじゃなかった。ここ三年で一番楽しく、充実した時間だと思ってた。俺は高校を卒業して親父の会社で働いてたが、ずっと辞めたかった。でも、仕事を辞めたところで俺にできることは何もないとわかっていた。
 やっと夜が来たと言うべきか、夜が来てしまったと言うべきか、俺は道中にある道の駅でひと休みすることにした。駐車場のベンチで寝そべっていると、一人の男性に話しかけられた。
「お! 懐かしいの持ってんなあ!」
 俺は起き上がり、笑って返した。
「はい! 久々に使ってみようかと思ったんです」
「へえ! めっちゃええなあ! これで旅してんの? どっから来たん?」
「そうです! 京都です! よかったら乗ってみます?」
 その言葉は男性にウケた。男性はツーリング用のグローブを外し、それに跨った。子供のようにはしゃいでアスファルトの上を滑っていく。男性とは意気投合し、しばらく話し込んだ。そしてバイクの後ろに乗せてもらうことになった。道の駅は寝やすそうだったが、少しでも先に進めることはよかった。県境は日本中でよくある田舎町の風景だった。畑があり、田んぼがあり、灯りを消した瓦屋根の一軒家が点々と、虫たちの盛大なオーケストラ。昼間だったら最高なのにな、と俺は次第に泣きたい気分になってきた。男性はめちゃくちゃ親切な人だったし、そう思うのはかなりと失礼に当たるのだが、山々が連なるこの地は蒸し暑く、三月なのに空気はじとじととしていた。
 国道から逸れ、あぜ道を少し歩いた。やっとのことで小さな公園を見つけた。俺はベンチに横になりながら考えた。親父には特別な休暇を貰ったけど、この旅が終わればどうしようかと。これは正真正銘旅であり、そして一種の家出でもある。東京に辿り着けば何かが見つかるかもしれない。よくある若気の至り的なものでもあった。
 時間は全然過ぎなかった。まるで小学生の頃の夏休みみたいな感じだ。同じ日本だが、目に見えるもの全てが新しく、先に何が待っているかわからない。いや、絶対何かが待っているのだと信じていた。
 俺は国道沿いに立ち、スケッチブックを掲げた。通り行く数少ない車に〝名古屋方面〟と書いたページを見せ、微笑みかける。当たり前だが、ヒッチハイクはかなりとムズイ。俺は考えた。しばらくと生きた心地がしない日々の中、自分がやるべきことは何なのだろうかと。でもそんな人生のことなんて、いくら特別な時間だろうが一瞬で決まるものではなかった。自身で決断した明確なルートをそのまま辿っている人はこの世界に一体何人いるのだろうか。全人類の何パーセントなんだろうか。俺の数少ない経験じゃあわからないことばかりだった。そしてそれが余計に、頭をこんがらがせた。
 路上に立って一時間、少し先の路肩には一台の軽自動車が停まった。名古屋に住むおじいさんが乗せてくれたのだ。
 短い時間では言い表せないくらい優しい人だった。旅をしてると人の優しさというものを再確認できる。俺はここしばらくそういうの、忘れてしまっていた。おじいさんは愛知に入ったところで、自分一人じゃあ一生入らなかっただろうなという古い喫茶店で小倉トーストをご馳走してくれ、たくさん質問をしてくれた。俺はその問いに、なるべく答えた。「世界中を旅したい」「アメリカを横断したい」「小説を書きたい」「映画を撮りたい」……おじいさんは笑って言った。「やりたいことがいっぱいあるんだな! そりゃあ幸せなことだ! きっと何でもできるよ」
 名古屋駅に着くと俺はできる限りの感謝を述べて、おじいさんと別れた。短い時間だが泣きそうになった。昼過ぎ、駅の周りをうろうろしてるとロータリーには長距離バスに乗ろうと乗客の列ができていた。バスは扉を閉じ、ゆっくりと発進していく。俺はしばらくその姿を見ていた。窓から手を振る若い女の子と、外から笑顔で手を振り続ける母親の姿。バスは通りの向こうへ消えていった。そういや、新生活が始まる季節だ。母親はハンカチで涙を拭った。娘に見せていた笑顔をくしゃくしゃにさせて、泣いていた。こっちまで悲しくなった。両親を思い出した。このとき、俺は帰るべきかなと思った。初めて見かけた人の、一時の涙で。俺はしばらく縁石に座り込んでいた。一息つくと、スケッチブックを取り出し、ペンを走らせた。〝静岡方面〟と。
(了)