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第14回W選考委員版「小説でもどうぞ」選外佳作 進む者と残る者 白浜釘之

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小説でもどうぞ
結果発表
第14回結果発表
課 題

卒業

※応募数281編
選外佳作
 進む者と残る者 白浜釘之

「卒業おめでとう」
 私が彼女に笑みを向けると、
「おめでとう? ちっともめでたくなんかありませんよ」
 彼女は少し怒ったような顔をして私を睨みつけた。
「なぜそんなことを言うのかな? 君はこの世代のトップでその施設を卒業することができた。選ばれし人類の誇りだ。教鞭をとった私も鼻が高いよ」
「……でも、卒業したらもう先生とお会いすることはできません」
 彼女はちょっと拗ねたように目を伏せる。
 可憐な彼女のそんな表情に私はほんの少しだけ心を動かされる。こんな感情は久しぶりだった。
「そんなことは大した問題じゃない」
 私はそんな内心の動揺を悟られないように努めて明るく、かつ事務的に聞こえるように笑って首を振る。
「教え子が教師に恋心を抱く……思春期にはよくある一時的な感情だ。優秀な君ならそんなことはわかっているだろう?」
「いいえ、わかりません」
 彼女は顔を上げ、まっすぐに私を見つめた。
「人間の感情はそんな単純なものではないことは先生が教えて下さったでしょう?」
 確かにその通りだった。この施設……優秀な遺伝子を持つ者だけが入学を許され、かつ熾烈な競争によって選抜されたもののみが卒業することができる政府の研究機関……を首席で卒業する彼女を理屈で納得させるのは無理というものだ。
「わがままを言うんじゃない」
 心苦しく感じながらも私は彼女に対し高圧的な態度を示すことにした。政府の役人たちのように。
「君は選ばれしエリートなんだ。未来の世界で生きていける、生きなければならない優秀な人材なんだ。多くの人々が君のような立場を望み、果たせずに死んでいかねばならない……君は彼らの分も生き延びて人類の歴史を繋いでいかねばならない。わかるね?」
 原因不明のウイルスによって九割の人間が死んだ世界。この完全滅菌されたドームに覆われた半径十キロメートルの都市の外はいつ罹患するかわからない不治の病に怯えながら暮らす人々が住んでいる。彼らはこの都市の防護壁を遠巻きに眺めることしかできないのだ。中には選民政策に異を唱え、壁を破壊しようとする者もいるが、備えられたレーザー兵器によって瞬時に消滅させられてしまう。
「自分の感情を殺してまで、人類の発展を望まなければならないのですか?」
「そうだ」私は彼女のまっすぐな瞳を厳しく見つめ返す。「一時の感情に流されて自分の責務を全うしない者はこの場所にはふさわしくない。この都市の外へ出ていくかね?」
 私の恫喝に怯え、再び目を伏せた彼女がふいに哀れに思え、
「……私の思いも君の中に伝わっているはずだ。それを未来に持って行ってくれないか?」そう言って彼女の肩をそっと抱いた。
「私は君たちほど優秀ではなかったからこの時代に留まらなければならない。この研究施設の職員たちの思い、それに都市の外側で暮らすすべての人々の思いを未来に持っていく責任が君たちにはあるんだ」
「……わかりました」
 彼女はもう一度まっすぐに私を見つめながら頷いた。その双眸から涙が零れ落ちたが、決して取り乱すことはなかった。
 彼女たち施設を優秀な成績で卒業した者たちは、すぐに冷凍睡眠装置に入らなければならない。ウイルスが駆逐された未来に優秀な人材がいなければ結局人類は滅びてしまうだろう。そうならないために彼らは〝待機〟するのだ。それは数年後かも知れないし、数百年後かもしれない。そしてそれを支える者……私のような者もやはり必要なのだ。
「最後に一つだけ懺悔をさせてください」
 彼女が部屋を去り際に振り向く。
「私、先生と一緒にここに留まりたくて卒業試験ではわざといくつかの設問を未回答にしたんです……では、失礼します」
 なんてことだ……彼女が去っていった部屋の扉を見つめて私はため息をつく。
 本当に優秀な成績を残せば、研究者としてここに留まる、という選択肢も選ぶことができたのに……。未来への希望のための冷凍睡眠が一番であるように思わせるため、生徒たちには施設の職員は卒業試験をわずかの差でクリアできなかった者、と教えていた。
 その弊害がこんな形で出てしまうとは。ただでさえ施設の職員は年々減少していく傾向にある。私も彼女のようにほんの少し手を抜けばここに残ることを選ぶことなく冷凍睡眠できたかもしれない……そんな思いを打ち消し、私は今日も未来に向けて眠り続ける卒業生たちのために研究に打ち込むのだった。
(了)