【第3回】 ヤマモトショウ 創作はいつまで続くのか 実際のところ、クリエイティブというのは○○です


映画は、総合芸術だ!
ところで、それはそれとして「映画」というのは非常に総合的な芸術作品であるように思う。というのは、少なくとも音楽という視点にたったとしても、映画を作るならば音楽についての体系的な理解が必要になるからだ。
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実際に映画作品における音楽の力は大きく、例えば「悲しいシーンの悲しさ」を最も演出できるものの一つが音楽だろう。もしそのシーンにおいて、ポップで明るい音楽が流れてしまったら、そこで求められる効果は得られないだろう。映画をつくるには、そのように音楽を機能的にも理解する必要がある。もちろん、要素はそれだけではない。物語を作る能力、映像をつくる能力、さまざまなものが問われるので、私は映画をつくることは最も総合的な芸術的行為なのではないかと思っているのだ。正直、今少なくとも音楽を作ることに関しては、それなりに自信を持っている自分にも、まったくできる気がしない。
映画出演で気づいた「演者」と「作家」への適性
しかし、それにしてもこの時代に映画の制作ができたことは非常に良い経験だったといえる。自分自身がこのときに主に行ったのは、出演するという部分であって、それは今検討しようとしている「クリエイティブさ」とはまた別のものかもしれないが、逆に一つの気づきとして「自分に演者は無理だ」という実感も獲得することができた。今後、私の音楽歴については順を追って話していくことになるが、私はこの数年後にバンドのメンバーとしてデビューすることになる。しかしその時でも、このときに得た「自分は必ずしも演者側の人間ではないかもしれない」という視点は常に内包していた。
実はこれも今後ぜひ語りたいことなのだが、まず端的に言って作品を「つくる」力と、それを「表現する」力というのは別物だ。日本では、シンガーソングライターという存在(その中でも類い稀な能力を持った一部の天才)が話をややこしくしているが、実際のところ自分が歌う歌ですら大半の場合は自分ではない人間が作る方が良い結果が生まれる。映画でいえば、監督が主演俳優もやっているという状況を考えれば良いだろう。もちろんそういったケースでの成功例もあるが、一般的ではないことは誰しも想像がつくと思う。
「つくってみたい」気持ちがクリエイティブのもと
ところで、件の映画を撮った際に監督をした人物とは今でも交友関係が続いているのだが、彼はその後も映像関係の分野への興味を失うことなく、今も映像作品に携わっている。今では、当時なかったような技術、例えばAIを使ったりすることで、これまでだったら一人では決してできなかったことを映像として実現させたりしている。AIで色々なことができるようなってきているが、実際のところ、クリエイティブというのは、ある時点で「つくってみたい」と思った気持ちを、どこまで持続させられるかということなのかもしれない。
私には演技はできないしステージに立つのが得意なわけではない(ということがよくわかった)が、それでも音楽を表現するのは好きで今も続けている。監督の彼も、高校生の時のように「文化祭」のような熱狂の中で映画を撮るということはできなくなっても、技術の進歩を追いながら作り続けている。そういった気持ちに技術が追いついたときが、もっともクリエイティブな瞬間なのかもしれない。
| 次回の更新は12月3日(水)を予定。お楽しみに! |
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