第49回「小説でもどうぞ」最優秀賞 練習しないと不安な男 ササキカズト


第49回結果発表
課題
練習
※応募数326編
ササキカズト
……不安だ。
もしも乗っていた船が沈没して海に投げ出され、板切れ一枚につかまって漂っているとき、人喰い鮫に襲われたらどうしよう。
鮫の鼻先にはロレンチーニ器官というものがあって、電気だか何かを感知して獲物を捕らえるので、向かってくる鮫の鼻先を触って、鮫を受け流すことができるらしい。テレビで見たことがある。
しかし実際にそんなことできるものだろうか。自分がどこかの海で漂流して人喰い鮫に襲われたとき、鼻先を触って受け流すなんて、うまくできるものなのだろうか。
不安だ。
不安なときには練習するに限る。練習は裏切らない。
よし。実際に海に行って、鮫を相手に練習をしよう。実践練習が一番いい。俺は絶対にこの練習をやりとげ、不安を払拭するのだ。絶対に。
俺はまず泳ぎを習いに行った。泳ぎがあまり得意でなかったからだ。泳げなければ、鮫どころでなく溺れてしまう。ダイビングも習い、鮫の研究もした。
俺は船舶免許も取り、小さな中古のボートを買った。これでようやく、実際に鮫を受け流す練習をする準備が整った。ここまで三年かかってしまった。
俺は仕事の夏休みを長めに取って、一人ボートに乗り、人喰い鮫が多いと言われる海域に向かった。波の穏やかな場所で船を止め、俺はダイビングスーツを着て海に飛び込んだ。鮫をおびき寄せるために、新鮮なマグロの肉を網状の袋に入れて腰に巻いていた。
大小様々な魚たちが集まり始めた。鮫もすぐに現れた。体長二メートルくらいのホオジロザメだ。鮫は俺のまわりをぐるぐると回り、ときに近づいてマグロの入った袋に鼻先を近づけた。
怖かった。思っていた以上に怖い。とても鼻先など触れない。俺は勇気を振り絞って、鮫の鼻先に手を出してみた。ちょっと触るのが精一杯。鮫の動きに何の変化もない。段々と慣れてきた俺は、鮫の鼻先を手のひらで包むようにつかんでみた。鮫の動きが少し鈍った。
これだ。これがそうだ。ロレンチーニ器官。鮫の弱点が見えた。でも相手も動き回っているのでなかなかうまく触れない。練習だ。練習は裏切らない。
俺はどんどん鮫に慣れていった。いつの間にか五、六匹の鮫に囲まれていたが、恐怖心はだいぶ薄れていた。鼻先を撫で回すようにすると、かなり動きを止められるとわかった。それに、そもそも鮫はサメ映画のように、やたらと人間を襲うことはしない。本当に噛みつかれそうになったのは十回程度だった。腰に下げた袋を喰い破られたときに、ちょっと噛まれて太ももに歯形がついたのと、右手の小指の先を喰われた程度で済んだ。上出来だ。
俺は鮫を相手にしたこの実践練習で、鮫に対する恐怖を克服した。鮫に襲われたらどうしようという不安が、俺の心から消え去ったのだ。
……不安だ。
もしも手榴弾のピンを抜いて投げ損ねたら、すぐに投げ直したり、遠くに蹴り飛ばしたり、物陰に身を隠したりといった冷静な行動がとれるのだろうか。実際の戦場という緊張感の中で、ピンを抜いた手榴弾を落とすというミスをしたら、俺は落ち着いて対処できるのだろうか。
不安だ。
不安なときには練習するに限る。練習は裏切らない。
よし。実際に戦争に行って練習をしよう。実践練習が一番いい。俺は絶対にこの練習をやりとげ、不安を払拭するのだ。絶対に。
俺は仕事を辞めて自衛隊に入隊した。厳しい訓練の中で、手榴弾をわざと落とすということもやってみた。投げ直すこともできた。しかしこれはあくまで訓練であり、俺の不安は晴れなかった。実際の戦場でこれができるかが不安なのだ。
俺は三年で自衛隊を辞め、戦時下の某国へ渡り志願兵となった。とにかく実践練習をしておかないと不安なのだ。
実際の戦場は、生か死かの地獄そのものだった。手榴弾を落としたときの練習なんてやっている余裕はない。しかし俺はこの練習をするために戦場に来たのだ。
「練習しろ馬鹿者!」
親父の厳しい声と、頬の痛みを思い出す。練習しておかねば。
チャンスがきた。敵兵は廃墟に隠れていた。手榴弾を投げるのが最も効果的だと思われた。味方の兵士は少し離れたところにいる。手榴弾を落とす練習をしても、味方を傷つける心配もない。
よし、やろう。
俺は手榴弾のピンを抜き、わざと投げ損ねた。地面に手榴弾が転がった。思ったよりも遠くに転がった。投げ直すのは危険だ。俺は手榴弾を蹴り飛ばした。冷静だった。俺は実践練習で、冷静に手榴弾を蹴ることができたのだ。
手榴弾は蹴り上げた直後に爆発したので、俺は右足の膝から下を失ったが、手榴弾を投げ損ねたらどうしようという不安は、俺の心からきれいに消え去った。実践練習のおかげだ。
……不安だ。
もしもこの国あるいは人類が堕落して、生きる価値もない状態になったときに、人々に渇を入れるために、大都市に放射性物質をばらまかなければならなくなったときに、映画の主人公気取りのやつに邪魔されたらどうしよう。もう少しで東京中に、放射性物質をばらまく作戦が成功しようっていうときに、ヒーロー面をした男とかに阻止されてしまったらどうしよう。
不安でたまらない。不安に押しつぶされそうだ。
不安なときには練習だ。練習は裏切らない。
よし。実際に原発から放射性物質を盗み出して、東京にばらまく作戦を練って、実践練習しよう。知り合いの傭兵仲間にも連絡をとり、綿密に計画を練ろう。
俺は絶対にこの練習をやりとげ、不安を払拭するのだ。絶対に。絶対にだ!
(了)