第49回「小説でもどうぞ」佳作 デート練習サービス 翔辺朝陽


第49回結果発表
課 題
練習
※応募数326編
翔辺朝陽
悠人は五年前に麻夕と別れてからは、他の女性と付き合う気になれずに過ごしてきたが、三十五歳を過ぎ、次第に結婚を意識するようになった。
麻夕とは三年間付き合っていたが、麻夕から結婚をほのめかされるようになって、まだその気がなかった悠人は都度曖昧な返事をして逃げ続けた。しばらくして麻夕から突然別れたいと言われ、理由も告げられないまま、翌日から麻夕と連絡がつかなくなった。
別れてから悠人は思い知った。麻夕は自分にはもったいない女性であったことに。
当時、自己肯定感が低いくせに自己愛だけは人一倍高かった悠人は、麻夕から結婚をほのめかされた時に即座に受け入れることが出来なかった。麻夕のことを愛していないわけではなかったが、本当に自分にふさわしい女性なのか自信がなかった。もっとふさわしい女性がいるのではないかと内心思った。しかし今思えばそれは思い上がりもいいところで、彼女はこんな自分でも結婚したいと思ってくれたのだ。悠人よりずっと自分のこれからの人生のことを真剣に考えて――。悠人の心には苦い後悔の念だけが深く刻まれていた。
結婚を意識するようになってもマッチングアプリには興味がなかった。麻夕の時と同じ失敗をするような予感がした。それよりも女性の気持ちがわかるようになりたいと思った。
そんな時、ネットで、デートの練習サービスを提供する会社があることを知った。
二時間ほどインストラクターの女性と実際にデートをして、改善点などをフィードバックしてくれるという。これなら女性の気持ちが少しは理解できるようになる気がして、サービスの中の『カフェデート練習コース』というのに申し込んだ。
最初に簡単にカウンセリングを行い、その後すぐにデート練習になるとのこと。悠人は駅近くの静かなカフェを選び、サービス会社と日時を決めた。
カフェは土曜日の午前中ということもあってそれほど混んでなく、幸い入口近くの窓側のテーブルが空いていた。ここならすぐに気づいてくれると思い、そこに座った。コーヒーを注文し、ひとつ大きく深呼吸をした。練習とはいえ麻夕と別れてからは女性とデートしたことなどない。普段着慣れないジャケットを着こんできたこともあって、就活の面接のような気分になって緊張している自分がおかしかった。大丈夫、練習なんだからと何度も言い聞かせ、自己肯定感の低さを封印して待った。
約束の時間が近づいた頃、カランカランと入口の扉が開く音がした。
入ってきた女性を見て悠人は顔をあげたまま固まった。
現れたのは五年前に別れた麻夕だった。
どう声をかけていいものかわからず固まったままでいると、すぐに悠人に気づいた麻夕は、他人行儀な挨拶をして向かいの席に座ると、そそくさとビジネスライクにカウンセリングを始めようとした。
麻夕は見違えるように垢抜けていた。自立した大人の女性のオーラが漂い、眩しかった。左手の薬指には銀のリングが燦然と輝いている。悠人はつくづく己の自己愛を憎んだ。取り返しのつかないことをしてしまったのだと改めて思い知る。
それにしても他にもインストラクターがいるのになぜ麻夕はこの仕事を断らなかったのだろう? 顔写真を送っているので相手が悠人であることは事前にわかったはずだ。
これは自分に対する当てつけか復讐のつもりなのか――。
そう思うと悠人の気持ちは増々萎えていった。
「よろしいでしょうか?」
麻夕の声に我に返った。「あ、はい」と返事をするものの、カウンセリングの内容は全く頭に入ってこなかった。麻夕は「それではここからデート練習になります」と言ってニコッと笑った。麻夕の笑顔を見て悠人は自分が無性に不憫に思えてならなくなった。三年間も付き合っていたのに突然理由も言わずに別れを告げられ、今こうして偶然にも再会できたのに、その麻夕にデートの手ほどきを受けようとしている自分がいる。麻夕の方はすでに結婚もして、仕事も順調そうで生き生きしている。悠人は自分も麻夕と別れてから未練がましく宙に浮遊したままになっている麻夕への思いを今ここで成仏させなければいけないと強く思った。
「ひとつお願いがあります」
「なんでしょうか?」
相変わらずビジネスライクな麻夕に悠人は意を決して告げた。
「デートの練習なのですが、別れた元カノと久しぶりに再会しているという設定で練習させてほしい」
麻夕は一瞬動揺の色を隠せなかったがしばらく考えこんだ後、「あくまでも仮定の設定でということでなら」と了承し、「それではどうぞ」と促された。
悠人は練習にかこつけて、麻夕から別れを告げられた時の気持ちや、麻夕の気持ちに応えられなかった自分の未熟さを今ものすごく後悔していることなどを赤裸々に話した。麻夕にぶつけることで自分の気持ちに決着をつけたかった。麻夕は相槌を打ちながら真剣に聞いてくれた。一気に話し終えると悠人は「ありがとうございました」と礼を言った後、「すみません、一方的に話してしまって。これじゃ会話の練習にならないですよね」と謝った。少し間があり「いいえ……」と答えた麻夕の瞳が滲んでいるように見えた。彼女は目の端を手で拭うと、左手の薬指から銀のリングを外しながら「これ、ダミーなの。こんな仕事していると本気になっちゃう人もいるもんだから……」とポツリと言った。
麻夕は顔を上げると、「本番のデートはいつにしますか?」と訊いた。
(了)