第49回「小説でもどうぞ」佳作 謝罪会見 桜坂あきら


第49回結果発表
課 題
練習
※応募数326編
桜坂あきら
第一役員会議室。長机の中央に社長が座り、両脇に専務と常務が並ぶ。私は広報部長として、司会のマイクを握っていた。
「以上をもちまして、今般の情報漏洩に関する記者会見を終了させていただきます。皆さま、長時間ありがとうございました」
私の声を合図に前の三人が立ち上がり、軽く一礼した。
「そこ、三秒です。最後の一礼は最低三秒。もう一度お願いします」
会議室の後方から、コンサルタントの声が飛ぶ。
「またか? さっき、あんなに長々と頭を下げたぞ」
社長は眉をひそめ、不満を隠そうともしなかった。
「経過説明の後は、九秒でした。謝罪の核心部分ですから、七秒から十秒が理想です。今の礼は締めの一礼ですので、最低三秒は必要です。皆さんでタイミングを合わせていただくと、より効果的です。では、そこだけ、もう一度」
社長以下三名はしぶしぶ席に戻る。私は再びマイクを握る。
「以上をもちまして、今般の情報漏洩に関する記者会見を終了させていただきます。皆さま、長時間ありがとうございました」
三人が立ち上がり、無言で頭を下げる。一、二、三。心の中で数えた後、ゆっくりと頭を上げた。三人のタイミングは見事に一致した。会議室の後方から、拍手が起こる。
「いやあ、素晴らしい。社長、お見事です。ちょうど三秒です」
「そうか。これでいいのか。なんだ、意外と簡単だな」
社長が満足げに笑うと、専務と常務が揃って大きく頷いた。
「では、社長。経過説明後のお詫びを、もう一度おさらいしましょう」
「ああ、いいとも。おい、お前たち、席に戻れ。さあ、早くしろ」
社長は上機嫌で二人を席に戻し、自らも着席した。
「社長の説明が終わり、皆さんが立ち上がるところからお願いします」
コンサルタントの指示に従い、社長が手元の台本を見て語り始める。
「以上が、経過の説明でございます」
三人が揃って立ち上がる。
「改めまして、今回は、誠に申し訳ございませんでした」
三人が頭を下げる。角度は六十度。
一、二、三……七、八、九。心の中で数える。
ゆっくりと頭を上げると、コンサルタントが声を弾ませた。
「お見事です、社長。完璧です」
「そうか、そんなに良かったか。いやあ、俺も役者になれるかもしれんな」
社長の満足げな様子に、専務と常務がまた頷いた。
「おい、それで、本番はいつなんだ?」
社長の無邪気な問いに心底呆れつつ、私は答えた。
「これは万一の備えですから、本番は未定です」
昨年、製品検査における長年のデータ改ざんが発覚し、前経営陣が退いた。広報部長の私は、取材対応と会見に追われる日々を過ごした。ようやく世間の関心も薄れ、新体制で再スタートを切った矢先、今度は営業部長によるセクハラが発覚。そのうえ、謝罪会見でのしどろもどろな対応が火に油となり、部長は辞任。営業部は企画部に吸収された。
二度あることは三度ある。
私は、やがて来る次の不祥事に備え、コンサルタント会社に相談を持ちかけた。そして、役員の承認を得て、「記者会見の練習」を行うことにした。
練習の設定は、「企画部の社員が顧客情報を無断で持ち出し、名簿業者に販売。二万人分のデータが漏洩した」というもの。
社長は「そんな馬鹿なことが起こるわけがない」と不機嫌になったが、コンサルタントは「だからこそ練習するのです」と言い切り、社長を説き伏せた。私は、さすがプロだと感心した。
できれば無駄になってほしいと願った練習だった。
だが、まさかこんなに早く、その成果を試す日が来るとは思わなかった。しかも、起こった不祥事は、設定どおりの情報漏洩だった。
私は司会者として、記者会見の開始を告げた。常務が経過を説明し、社長が補足と謝罪を述べる。社長の話が終わりに近づいた。
「以上が、経過のご説明でございます」
社長が立ち上がる。専務と常務も息を合わせて立ち上がる。
「改めまして、今回は、誠に申し訳ございませんでした」
三人が頭を下げる。角度は六十度。一、二、三……七、八、九。
社長がゆっくりと頭を上げる。その表情は、まるで舞台を終えた俳優のようであった。
「おい、これでどうだ。練習通り、上手くできただろ? 次はもっと上手く出来そうだぞ」
完璧に演じ切ったことに満足した社長が、私に向かってマイクもいらぬほどの大声で言った。
報道各社のカメラが社長の笑顔に向けられた。シャッター音が一斉に鳴り響く。
私はマイクを強く握りながら、心の中で呟いた。
〈社長の謝罪は、確かに完璧だった。だが、その完璧さが、何のためにあるのか、もう誰も覚えていないのかもしれない〉
(了)