第49回「小説でもどうぞ」佳作 謝罪に焦がれて 杜緒悠


第49回結果発表
課 題
練習
※応募数326編
杜緒悠
子どもの頃から誠斗は、人が謝罪する姿に心惹かれていた。
企業の謝罪会見で、統一感のあるスーツに身を包んだ男たちが、ぴたりと揃って動き、同じ角度で礼をする、その美しさに、心を射抜かれた。不祥事に関するニュースでも、あの企業は三人で九十度十秒頭を下げた、あの企業は四人で九十度七秒、あの芸能人は八秒といった分析に、重大な関心を抱いた。
高校時代には、初デートで、個人的なトラブルから国家存亡の危機まで謝罪で解決するプロの謝罪師の活躍を描いた映画を観に行った。鑑賞後、彼女と入ったカフェで三時間半、謝罪の大いなる可能性を取り上げた着眼点のすばらしさ、映画に登場した数々の謝罪シーンの採点、誠斗が思い描く理想の謝罪について語り尽くした。数日後彼女から、ごめんなさい、と別れを告げられたが、彼女のお辞儀のしかたが合格点とは思えず、早々に別れられてよかったと思ったものだ。
これほど心を揺さぶる謝罪という行為に関して、誠斗は評論家で終わることはできなかった。自らも完璧な謝罪ができるよう練習に励んだ。
謝罪会見での整然たる動きから謝罪愛に目覚めた誠斗は、練習を始めるにあたり、謝罪の正しい姿勢や動作を解説する動画をネットで探した。ところが、動画のほとんどは、謝罪の構成や文言がどうあるべきかを解説するのみ。やっと見つけた、謝罪の動作に言及した動画も、最適なお辞儀の角度と時間について言葉で述べるのみで、動作の見本を見せてポイントを示すなど、動画の特性を生かしたコンテンツではなかった。
誠斗は諦めなかった。人気動画配信者の企画募集に応募し、正しく美しい謝罪の動作に関する、手本を見せながらの指南を求めた。ちょうどその頃、動画配信者による謝罪動画の配信があいついでいたことも追い風となったのか、誠斗の企画は採用された。専門家を呼び、若者に人気のヒップホップダンサーによる、その体幹を活かした美しい謝罪動作を収録した企画動画は、日頃のダンサーのラフなイメージとフォーマルな服装や動作とのギャップの面白さで、大いにバズった。そんな世間のざわめきとは関係なく、誠斗は動画に感謝し、ダンサーが繰り出すキレのある動きを手本に、練習を日々繰り返した。
ところが、こうして励んだ練習の成果を披露する機会が、誠斗に訪れない。
誠斗は『まじめすぎる』と言われがちなタイプで、親や教師に叱られる機会もなく育った。地味な内面には似合わず、背が高く筋肉質な身体をしていたせいか、人にぶつかられてトラブルになることもなく、最もライトな謝罪のスタイルである《会釈》実践の機会すらなかった。就活の面接練習でお辞儀のしかたをほめられたのは、練習が役立った唯一の機会だったが、お辞儀はあくまでもお辞儀であって、謝罪ではない。そのお辞儀のおかげか就職できた会社でも、誠斗は顧客との接触がない総務部門に配属され、あまり他の職員とも関わらない単純な仕事をミスなくこなし、謝罪と無縁の生活を送っていた。
謝罪は、その機会がないのが何より。誠斗もそれはわかっていたが、これだけの鍛錬がどこにもつながらないことにやるせなさを感じた。せめて、練習試合のような、相手を感じられる練習をしてみたかった。
さんざん悩んだ結果、誠斗は、生き物を相手にしてみることにした。
近所に、いわゆる《猫の集会》が開かれる公園がある。深夜、誠斗はそこに赴き、木の根元に集まっていた七匹の猫たちに向かって、練習の成果を披露した。ところが、誠斗のただならぬ気合に危険を感じたのか、猫たちは飛ぶように逃げ去ってしまった。今まさに、誠斗は猫たちに謝罪すべき事態に陥ったのだが、謝罪の相手の猫たちはもうここにはいない。
誠斗は天を仰いだ。
大樹の枝が目に入った。
誠斗はあらためて、猫たちが寄り添っていた樹をみつめた。太く、ごつごつとした幹は、相当年季が入っていそうだ。神社にあったら御神木になっていそうな風格があった。
誠斗は大樹に向かって、謝罪の礼をしてみた。
「誠に申し訳ございませんでした」
もはや体感で正確に計れる三秒、きっちりお辞儀をして頭を上げると、大木のどっしりとした幹が、誠斗の謝罪を受け止めてくれたと感じた。御神木クラスの格の相手に《練習》は恐れ多いのだが、それも許してくれる懐の深さが、年輪を重ねた幹の樹皮から感じられた。誠斗は心をこめ、公園の大樹に向かって謝罪の礼を繰り返した。
どれぐらい、無心に練習を繰り返した頃だろう。
ふいに眩しい光が誠斗に向けられた。
「こんばんは。警察です。どうされましたか」
二人の制服警察官が、誠斗のそばに立っていた。
「公園の樹に向かって怪しい動作をしている人がいると、通報がありまして」
誠斗の胸は高鳴った。本番だ。
子どもの頃の憧れ、お手本を求めてのネット彷徨、動画を観ながらの反復練習。
脳裏をよぎるすべて注ぎ込む思いで、誠斗は頭を下げた。
「お騒がせいたしまして、誠に申し訳ありませんでした」
正確でぶれのないお辞儀をして頭を上げると、そこには二人の警察官、人間がいる。少し、当惑しているようだが、反応は悪くない。
胸の奥から、新たな感情がこみあげる。
「……ありがとうございました」
誠斗は深々と、頭を下げていた。身体を前に倒しすぎ、時間も長すぎる。
でも、いいのだ。これは、謝罪の礼ではないのだから。
全身を満たす温かな感情のままに、誠斗は頭を下げ続けた。
(了)