【長編小説で文学賞を狙う人へ】埋もれないためには“うまい”より“違う”が大事! ものの見方と題材選びの基本を押さえよう


構造と特徴を知れば誰にでも書ける! あなたの知らない長編小説の方程式
文学賞に応募するには、最低でも400字詰め原稿用紙80枚、長編になると500~600枚が必要。そこで本特集では、この枚数をものにし、受賞レベルの作品を書く方法を解説する。
問いと題材が決め手 オリジナリティーを出そう
文学賞では、“うまい”ことより“違う”ことが価値となる。オリジナリティーを持たせ、誰でも書けるものではなく、あなたにしか書けない小説を目指そう!
ものの見方と考え方
世界が違うように見えるまで待つ
高橋源一郎著『一億三千万人のための小説教室』(岩波新書)の中に、小説を書く前の考え方について以下のように書かれている。「世界を、まったくちがうように見る。あるいは、世界が、まったくちがうように見えるまで、待つ」
小説を書く方法としてこれほど的確な言葉もない。これをせず、世界が全く違うように見えないまま書き出し、凡作となる人のなんと多いことか。そうならないよう、考えて考えて考え尽くしてから書き出したい。それがオリジナリティーを出す第一歩だ。
もちろん、「今はまだそのレベルのものは書けない」なら、習作を重ねるためには今書けることを書いて応募するしかない。
しかし、受賞を目指すなら、まずはオリジナリティーの部分で読む人をうならせよう。
安部公房にみる哲学的問い
『壁』
「第一部 S・カルマ氏の犯罪」は名前に逃げられた男の話。出社すると、ぼくのふりしてぼくの名刺が働いている。名前とは何かを考えさせられる。
『箱男』
箱男は冷蔵庫のダンボールをかぶり、小窓から外を覗いて手記を書いている。誰でも持っている家が箱男にはない。前衛的な手法で、存在とは何かを問う。
『砂の女』
海岸の砂丘に昆虫採集をしにきた男は砂穴の家に閉じ込められるが、その生活に順応し、脱出の機会が来ても逃げない。市民社会の日常とは何かを問う。
考えたことをどんな形にするか
表現の形は純文学か、エンタメ小説か
「〇〇とは何か」と考えた結果、それを表現するジャンルは純文学とは限らない。現代的なテーマを持たせながら、物語として面白く読めるように仕立てることもできるし、哲学的な問いをよそにエンタメに徹することもできる。
下記の小説は「介護」を題材とする作品だが、アウトプットの仕方は三者三様。それぞれの作家がそれぞれのやり方で「介護」という題材を消化している。
例:「介護」について考えた
羽田圭介『スクラップ・アンド・ビルド』
健斗は「早う死にたか」とつぶやく祖父に最高の介護をし、そのことで祖父の体を弱らせようとする。死の希望と生の執着を描く。
篠田節子『長女たち』
介護のために恋人と別れる。父親を孤独死させた悔恨に苛まれる。糖尿病の母に腎臓を提供すべきか苦悩する。重い現実と格闘する3話。
葉真中顕『ロスト・ケア』
重度介護者を狙う連続殺人犯。介護疲れの家族を救ったと言う犯人に検事は? なぜ人を殺してはいけないのかを考えさせられる。
新しい題材を探す
未踏破の分野を切り開きたい
ロシアフォルマリズムのウラジーミル・プロップの分析をごく簡単に言ってしまうと、物語の方程式は「欠如で始まり、それが回復することで終わる」となる。
この「欠如」とは何かがマイナスの状態であり、泥棒や殺人などの「加害」や、異性にもてない、貧困、病気、介護、秘密、謎などなんらかの「不足」も「欠如」の一つ。つまり、物語性のない前衛小説を除けば、ほぼすべての小説は「欠如が回復する物語」の型に収まることになる。
物語構造が同じとなると、では、どこで新しさを出すかとなるが、前ページに記した「ものの見方と考え方」以外では、どんな題材を扱うかだろう。
「ギルガメシュ叙事詩」までさかのぼると物語は4000年も前からあり、今までにない題材を探すのは難しいが、プロはこの難題をさまざまな形でクリアしている。
今までにない題材
川越宗一『熱源』
樺太を舞台に、日本人にされそうになったアイヌ民族、山辺安之助の生涯を描く。この題材だけでも「新しい」と思える。
主人公(視点)を変える
門井慶喜『銀河鉄道の父』
政次郎の息子、賢治はダメな息子。宮沢賢治を知らない人はいないが、父親の目を通して親子愛を描いた視点が新しい。
今まで書かれていない職業
三浦しをん『舟を編む』
「言葉の海を渡る舟を編む」という辞書編集者の物語。よくは知られていない職業に焦点を当てるのも新しさを出す一つの手。
取材力と想像力で、見てきたようなウソをつく
『熱源』のように大きな舞台を扱う小説の場合、調べなければ何も書けない。山辺安之助の生涯だけでなく、当時の歴史、世相、思想を調べ、その世界が“見える”までになっているのが理想。『銀河鉄道の父』も『舟を編む』も同じで、私小説を書くような感覚では書けない。フィクションでありながらも、どこかノンフィクションのようなリアルフィクションであることが求められる。それを可能にするのは取材(調べること)と想像力だ。
既存の作品をベースにする
下敷きにするなら、海外小説か古い小説
すべての小説は先行する小説の模倣と言える。と言ってもパクリではなく、既存の作品を消化し、自分のものにしている。
とは言え、ここ10年の話題作を模倣するとまね感が出て、オリジナリティーを疑われる。
『千年の愉楽』は、G・ガルシア=マルケスのノーベル文学賞受賞作『百年の孤独』にインスパイアされて書いた小説だが、これは模倣ではなく果敢な挑戦。
『剣樹抄』は令和版少年探偵団という設定だが、昔の児童小説を彷彿とさせてむしろ新鮮だ。
既存の作品をベースにするなら、遠く海外の小説か、古い日本の小説(西村賢太が藤澤清造の影響を受けたように大正時代ぐらいまでさかのぼれるといい)にしよう。
海外小説をベースに
中上健次『千年の愉楽』
被差別部落を舞台に、産婆オリュウノオバの目を通して早死にを宿命づけられた若者たちの刹那的な生き様を描いた物語。
古い小説をベースに
冲方丁『剣樹抄』
若き徳川光圀を中心に、異能の子どもたちで組織される拾人衆が明暦の大火の火付け犯を追うさまを描いた痛快時代小説。
ワーク:「まだ書かれていない題材」と「下敷きにできそうな海外小説か古い日本の小説」を探し、オリジナリティーのある小説が書けないか検討してみよう。
※本記事は2022年1月号に掲載した記事を再掲載したものです。