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第15回「小説でもどうぞ」選外佳作 バッタ先生/オオツキマリコ

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作文・エッセイ
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小説でもどうぞ
第15回結果発表
課 題

表と裏

※応募数212編
選外佳作
「バッタ先生」
オオツキマリコ
 僕は勉強ができない子どもだった。いつもぼんやりしていた。何となく学校へ行って帰ってくる子どもだった。小学校のテストは、たいてい表が基礎百点、裏が応用の五十点だったけど、僕は表がせいぜい五十点で、裏などはなから諦めていた。裏半分は余白だからそこに落書きばかりして、それでも叱られないような子どもだった。
 四年生の時、初めて担任が男の先生になった。
 松田先生は、細い身体にいつも緑の体操服を着ていた。校内履きは裸足にサンダルだった。口の悪い上級生は「バッタ先生」と呼んでいた。
 松田先生は時々、青い顔をして教室に入って来ることがあった。おはようもそこそこにプリントをばさばさ配ると、 「みんな、このプリントやって、残り時間は読書でもおしゃべりでもしてたら良いから、九時まで先生を寝かしてくれ。それから日直、これに水を汲んできてくれ。頼む」
 そう言うと、緑の体操服を頭からかぶって机に突っ伏した。
 二日酔いだな、僕達は匂いでわかった。でも、静かに自習した。今と違って、親たちもそんなことに、やいやい噛みつく時代ではないのだ。
 僕は、先生の歯磨きのコップに水を汲む日直が羨ましかった。僕なら何杯でも、冷たい水を汲んであげるのになあと思った。と、教室の時計が九時になり、先生はがばっと起きた。
「ありがとう、もう元気だぞ。ようし、一時間目やるか……んん、十五分しかないなあ、仕方ない、遊ぼう!」
 言うが速いか、体操服を羽織り、バッタのように教室を出て行った。僕達も待ってましたとばかり、先生を追いかけて、運動場で鬼ごっこやドッジボールをして大笑いした。僕は、僕達四年二組は、松田先生が、本当に大好きだった。
 松田先生は、決していい加減な先生ではなくて、授業も面白くて分かりやすかった。理科の実験も、本当にワクワクさせてくれた。僕は初めて、テストで良い点を取りたいと思うようになった。がさつに見えて松田先生の丸付けはとても丁寧で、漢字一文字、式一つでも正解だと何重もの丸を付けてくれる。一度、頭の良い林君のテストを見たら、花丸の洪水だった。いいなあと思ったが、今までずっとぼんやりしてたから、おいそれと賢くはなれなかった。
 ある日、算数のテストを配りながら先生がこう言った。
「時間が余ったら、裏の白いところに知っている漢字を書け。習っていなくても正しい漢字なら丸を付けるからな」  そこまで言った後、先生は僕の方を見て言った。「表でも裏でも、どこかでがんばれ」
 どこかでがんばれ。それは僕に言ってくれてるのだ。よし、がんばろうと本気で思った。
 表の計算問題を半分解き、残り半分は難しそうなのでやめた。裏にひっくり返すと文章題。何を聞かれているのか意味が分からない。取りあえず出てきた数字を端から順に足した。
 そして、真っ白い部分に知っている漢字をとにかく丁寧に書こうと、息を深く吸った。
 一二三四五六……
 山川林森……
 大中小……。
 すぐ底をついてしまい、やけくそになって
「松田先生二日酔い」
 と書いた。そのとき、チャイムが鳴り、テストは集められた。
 僕は、怒られるんじゃないかとその夜眠れなかった。いや、怒られるよりも、松田先生に嫌われるんじゃないかと思い、涙が出そうになった。
 本当に僕はバカだと心から情けなかった。
 次の日、テストが返された。林君は余裕の百点、友達も、やったあとかちぇっとか言っている。
「ほい、坂本」
 表五十点、裏の文章題は当然0点。そして、漢字は一文字ずつ、ぐるんぐるんと花丸で囲まれていた。一も二も三も、一年生の漢字が花丸で飾られていた。そして
「松田先生二日酔い」
 の字には、ひときわきれいな花丸が描かれ、横に
「“酔”なんて難しい字、よく知ってた。えらい!」
 というコメントと、先生手描きのバッタのイラストがあった。バッタは、にっこり笑っていた。
 僕は我慢してた涙がぽろぽろ出た。
「あ~先生、坂本君を泣かせた~!」
「ば、ばか、ちがうちがう。坂本、どうした?」
 教室中大騒ぎになったけど、涙が止まらなかった。泣きながら、僕は、今度こそ、本物の表と裏の問題で花丸をとって、本当にほめてもらうんだと決めた。それから本気で勉強した。
 そうだ、僕が教師になったのは、松田先生のように、子どもに花丸をつけてあげたかったんだ。松田先生も僕も、偉くはならなかったけど、教室で、いっぱい花丸をつけて、いっぱい子どもと笑う、そんな先生にね。

 日曜日の朝、父はそこまで言うと、膝に乗せていた朝刊を置き、庭にすっと出て行った。
 その地方新聞の裏、今週のお悔やみの欄に「松田○○」という名前があった。
(了)